旅行が夫婦共通の趣味だから、ジムを終え、今後の行き先について話し合った。
行き先の柱となるのは東京で、これは息子たちがその地で暮らすから当然そうなる。
それで幾つかの日程で宿を探して驚いた。
どこもほぼ満杯で、空いていても値段が跳ね上がっている。
二倍、三倍は当たり前であるから、これなら部屋を借りた方が安上がりだと思うものの、旅行の醍醐味はホテルライフにあるから部屋を借りればその時点でそれはもう旅行とは言えなくなる。
夫婦揃って五十を過ぎた。
安さと快適さであれば後者を選ぶのでいいのではないだろうか。
そして、軸が決まれば行間を埋める行き先も選ぶことになる。
数々の地方都市に加え、短期なら日程が組めるから近場の海外も選択肢に加わった。
このようにして未来が彩り豊かに描かれて、旅の行き先がわたしたち夫婦の時計の文字盤を形成してゆく。
5月に東北を旅したが、この時計の短針は次の行き先へと照準を定め、日常という長針の回転をがぜん勢いづかせる。
このように楽しい時間は早回しとなって、ただただあっという間に過ぎていく。