表情も活き活きとそばにいた面々が、コロナに水を差されて距離が遠のき、いま見渡せばその姿が幾分か不明瞭となって、ちょっと目を離した隙に辺り一帯に影が射してしまったという状況になりつつある。
このままでは更に日暮れて暗くなる。
だから、まずは何人かずつでも集まろうと声をかけ、ようやく7月、8月、9月とぼちぼち飲み会を催す流れが生まれはじめた。
そして飲み会は必ずや次の飲み会を生む。
小さな飲み会が種火となって、ちょっと顔を出したという面々が次々混ざり合い、より頻繁に、より賑やかに、わたしたち33期の飲み会が息を吹き返すことになるだろう。
おりしも今年は卒業後35周年にあたる。
復活の狼煙をあげるのに実にふさわしい節目と思える。
それぞれあたふたと20代、30代、40代と駆け抜けていまや50代。
日常の暮らしもすっかり落ち着いたことだろう。
各自難所をくぐり抜けた後、誰だって気になるのは寝食を共にした友人たちの、同じく難所をくぐり抜けた涯ての今であるに違いない。
飲み会でまた勢ぞろいし、活き活きとした今の姿に触れ、また盛り上がる。
そろそろ長い旅路も最終盤に差し掛かろうとしている。
胸のうちの残り火をここに至ってブーストしてくれるのは、それら友人たちに他ならない。
だから、よりよく燃え尽きるためには飲み会が欠かせない。
たかが飲み会、されど飲み会。
昔の人はうまいこと言ったものである。