名前で検索すれば大抵の場合、今なにをしているのか分かる。
もともと所属していた会社は遠い昔のうち消滅してしまったが、AさんもBさんもそしてCさんもそれぞれ独立して会計や金融分野の仕事で活躍している。
三人が三人とも、東京にも大阪にも事務所を構え、高学歴の者を何人も雇う代表者であるから、成功しているとみて間違いないだろう。
ママ友は話を続けた。
当時まだ会社があった頃、私はAさんにもBさんにもそしてCさんからもアプローチされた。
しかし誰を選ぶか決め切れず、もっと相応しい人が現れると思っていたから、三人全員を袖にしてそのときは惜しいとも感じなかった。
今になって思う。
なんで私はこんなところでこんな程度の夫と暮らしているのだろう。
あのとき誰かに決めていたら。
ママ友から聞いたそんな話をわたしにしながら、家内が彼らのホームページを開いていった。
内容を見ればよく分かる。
かなり優秀な方々でやり手。
おそらく収入も破格といった域にあるだろう。
で、わたしは思うのだった。
ママ友は大きな勘違いをしていたのではないだろうか。
彼女の考えでは主導権がこっちにあって、彼女が選ぶ立場にあった。
しかし、話は逆だろう。
これくらいリキのある男子が本気で誰かを見染めた場合、そう簡単に引き下がる訳がない。
ほんとうに好きで、この人を伴侶にと決めたならあの手この手をフルに駆使して実現させたはずである。
あっさり引き下がった時点で、何かを見極めたと見るのが妥当だろう。
つまりそのママ友が決め切れなかったのではなく、AさんもBさんもCさんもそんな素振りをちらと見せただけで、結局は彼女に決めなかったということである。
だから、伴侶として決めてくれたいまの夫が彼女にピッタリ合致していてそれをありがたく思った方がいいのではないだろうか。
朝から晩まで家族のために働いて、「あのとき誰かに決めていたら」といった不遇感満載のため息をつかれるその夫が不憫でならない。