KORANIKATARU

子らに語る時々日記

誰かの幸せを一緒になって喜ぶ

仕事を終えてまもなく夜。

家内はママ友と食事するとのことで留守。

だからわたしはひとり明石で夕飯を済ませることにした。

 

中高を通じて息子らはよき友人を多く得て、家内も同様に良きママ友を幾人も得た。

わたしだけが例外で、パパ友など一人もできなかったが、それが男の通り相場なのだろう。

 

先日、三田キャンパスにて知った顔があって家内が話しかけた。

長身でハンサムな彼は、うちの息子を親友だと言うから、こんな友だちがいるなんてと親として晴れがましく思えた。

 

こうした友だちは男の場合、中高大のうちにしか得られない。

長男も二男もその時期を取り逃がすことなく数々の魅力的な友だちに恵まれた。

ああ、よかった、よかった。

 

さて、肉でも食べようと思って探すと灯台下暗し。

駅前にちゃんとした焼肉屋があった。

 

明石の地を数知れず訪れてきたが、以前は和食を好んでいたので視野に入らなかったのだろう。

このところ肉食になって、ようやく焼肉屋がくっきり目に入るようになってきた。

 

食べながら、しみじみ思う。

これが念願だった。

ぶらり仕事後に好きなものを食べて飲む。

 

夢が叶った今を味わい、遠い昔、コンビニの惣菜をあてに缶ビールを飲んでいたワンルーム時代の自分を懐かしんだ。

 

もしあのままずっと不本意な境遇のまま過ごしていたら、相当に鬱屈し荒んだ精神のおっさんになっていたのかもしれない。

 

孤独を託ち日々に汲々とし、誰かが憎くて仕方なく、誰かが羨ましくて仕方ない。

彼我の差に胸を焦げつかせ怨嗟する。

そんな風であれば、なんとも苦しい後半生であったに違いない。

 

ちっぽけであっても自身の今に安住できれば、誰かの幸せを一緒になって喜ぶことができる。

そうなれば独りで食べても焼肉は美味しくビールもうまい。

 

そしてまたわたしにも中高大で得た友だちがいるのだった。

皆で食べた方が美味しいはずで、皆で飲んだ方がはるかに楽しい。

 

そろそろ集まってもいい頃だろう。

2022年11月29日昼 京都

2022年11月29日夜 明石 羅生門