十年以上も昔のこと。
なんばのジュンク堂で「おばけのQ太郎」と「サバイバル」を全巻購入しラッピングしてもらった。
クルマに積んで持ち帰り、子らが寝静まったあと、長男の机の上には「サバイバル」を、二男の机の上には「おばけのQ太郎」を置いた。
朝になった。
サンタは何を持ってきてくれたのだろう。
彼らは寝床周辺を手始めにあちこち探してまもなく机の上にでんと置かれた、新品ぴっかぴっかのプレゼントを見つけ歓声をあげた。
それから連日彼らはマンガの頁をめくった。
息子たちにとって寝床でマンガを読む時間は幸福そのもので、その様子を見てわたしも幸福だった。
しかし、全巻セットを目にしてかつて家内を当てこすった人物はこう言った。
あり得ない。
全巻まとめて新品で買うといった無駄な買物などうちではあり得ない。
漫画なら古本屋で買うことができる。
最新刊を欲しがっても、待てば値下がりして100円で買えるから、うちならそれまで待てと子どもたちに教える、とのことだった。
なるほど、そんな買物哲学の者からすれば、わたしなどアホ丸出しの銭失いといったものだろう。
考え方は人それぞれ、いろんな意見があるのだった。
そんな昔のことを思い出したのは、先日20日の毎日新聞を読んでのことだった。
高橋源一郎さんの人生相談が載っていて、世のありふれた悩み事に対し人の実存に根ざした本質的な、だから反論の余地の全くない氏の回答に学ぶことが多く、必ず目を通すのだが、この日の相談は、「子どものものを安く買いたい、できるだけ安く済ませたい、こんな気持ちをどうしたらいいか」といった内容だった。
その相談に対し、氏が述べた言葉が明快かつ痛快でわたしの胸に沁み入った。
「わたしがいちばん好きな買い物は、子どもたちのものを買うときです、他ではケチっても、子どものものは別です」
そうそう、そうなのだと、わたしはその言葉に何度もうなずいた。
氏が言うとおり、子どもたちのものを買うのは楽しく、そして幸せなことなのだ。
そこに100円がでかい顔して出る幕などまったくない。
幸いうちの息子たちは100円に収まるような小さな男にならずに済んだと思う。
彼らも親となった暁には、子どもたちを心から愛しあれこれ買ってそれを楽しみ、そして幸福であることだろう。