台風が直撃した15日を除いては、どの日も動いて、動いて、動き回って、そうしていつしか夏休みが過ぎ去った。
実にハードな毎日だったから、休みが終わって残念というよりほっとするような気持ちすら感じる。
性分としてじっとしている方なので、もし家内と出会ってなければこの夏も一人で部屋にこもって映画でもみて過ごしていたに違いなく、明るいうちからビールでも飲んでいたかもしれない。
家で映画をみるより、「動いて、動いて、動き回る」方が出合う情報がおそらく多く、その情報処理のため意識も活性化するので時間の中身は濃厚と言えるのではないだろうか。
思い返せば、子どもたちが小さかった頃から一貫し、わたしたちは動いて、動いて、動き回ってきた。
映画のなか主人公たちは動いて、動いて、動き回っている。
つまりどちらが絵になるかは明らかで、見る側より動いて動いて動き回る側を中心に世界は回っていると言っていいだろう。
そういう意味でわたしたちは人生という舞台の主人公の側にあったと言えて、家内のおかげ。
ありがとう。
夏休みは終わってしまったが、ささやかなこの舞台はまだまだ引き続く。
動き回る旅の企画は残りいくつもあって、またこの先も次々と生まれ出る。
そこをフィールドにわたしたちはあいもかわらず動き回ることになる。
そして犬も歩けばというとおり、さまざまなめっけものと出合ってわいわいするうち、やがては終わりのときを迎えるのであろうが、ということはつまり人生そのものが不滅の夏休みとも言え、であればやはり動いて動いて動き回るのが正しいということになりそうだ。