こんなわたしの内にも美意識が備わっている。
日記を書くことで、それを強く自覚するに至った。
書くというのは言葉を選択する行為ということができるだろう。
その行為を通じてあらわになるのは美意識で、それは日常生活においても反映されて、結果、普段の言葉遣いが変わり人との接し方にも変化が生じた。
だからもし万が一、何かの弾みで下卑て下品で汚らしいような言葉遣いなどしてしまった日には後味が悪くて仕方がない。
日曜の夜のこと。
午後8時前に搭乗の案内が始まった。
わたしは家内と連れ立って搭乗口へと進み出た。
QRコードをかざしてわたしは改札を抜けボーディング・ブリッジへと歩き始めていたが、家内がついてきていないことに気づいて後方を振り返った。
QRコードがうまく表示されないのか、改札のところで家内は手間取っているようだった。
ようやく改札を抜けた家内がわたしのもとへと走り寄り、言った。
うしろの男の人に怒鳴られた。
それでわたしは目線をあげ、家内の後ろを歩いてくる中年男性に目をやった。
なにか文句でもあるのでしょうか。
そう声をかけると男性は家内を怒鳴った勢いのまま、わたしにも暴言を吐いた。
「後ろに人が並んでんだからチケットの用意くらいさせとけよ、このタコが」
わたしは男性の腕の太さを確認した。
現業によって鍛え上げられた、地力に富む腕っぷしと見て取れた。
取っ組み合いになれば手強いに違いない。
しかし、女房が怒鳴られたうえタコ呼ばわりされて黙っている訳にはいかないだろう。
わたしはその男性へとにじり寄って言葉を返した。
男性も言い返してきたので横並びで言い合いながら歩くような形になった。
しかし言い合いとなれば、それはもうこっちの独壇場と言えた。
内蔵されたボキャブラリーは桁違いでその道具箱の中には尖って鋭く取り扱いに注意を要する飛び道具まがいの言葉もふんだんに揃っている。
歩数にして数歩もかからなかった。
一気呵成にわたしが相手を圧倒することになった。
男性はおそらく悪態をつく常習犯なのだろう。
いろいろな場所で善良な市民に罵声を浴びせ、そして、反撃してくる者などいままで存在しなかった。
だからわたしのような決然とした強気は男性にとっては想定外で、対応例のないケースであったのだと思う。
中途半端に男性は怯んでしまい、そうなるとその怯みに対し言葉を更に集中的に当てていくことになるから、ますます男性の言葉は弱くか細く途切れ途切れな小粒になって、その時点でもはや決着はついてしまったのだった。
わたしは歩を緩め、男性を先に行かせた。
これで実にしょうもないひと悶着は収束したのだった。
ところが機内に入って驚いた。
なんとその男性も最前列の席で、通路を隔ててわたしたちは左右隣り合う形になった。
「さっきはエスカレートしちゃいましたね」
チャンスを見計らいそんな風に声をかけ、わたしは和解しようと思った。
しかし男性は携帯に目を落としたまま絶対にこちらを見ようとせず、白々しくわたしがトイレに立ったときにも、男性は断固として目を合わせようとしなかった。
結局そのように時間が過ぎ、飛行機を降りるときにも頑なにこちらに背を向け続け、男性は先へ先へととっとと遠ざかっていってしまった。
だから、わたしには後味の悪さだけがずしりと残ることになった。
ああ、わたしは言葉によってその男性を深く傷つけてしまったのだろう。
それはもしかしたら、殴って傷つけるよりたちの悪いことであったのかもしれない。
うちの女房に不手際があったにせよ、先に怒鳴って暴言を吐いてきたのは向こうである。
だからその男性の自業自得ではないか。
そう言い聞かせ、わたしは後味の悪さを払拭しようとしたが無駄な悪あがきだった。
過ぎてしまったことは仕方がない。
今度こういうことがあった場合、どうすればいいか。
それを考えておくのが大事なことだろう。
息子ならどう対応しただろうとわたしは思い浮かべてみた。
罵声を浴びせられようが取り合わずニコニコと涼しい顔で受け流していたに違いない。
改札で手間取る女性を後ろから怒鳴るなど社会不適合者でしかなく、そんな者を彼らが相手にするなどあり得ないことだった。
老いては子に従え。
今後は一呼吸おいて息子ならどうするか考えてから立ち回るようにしようと思う。