先日のこと。
33期の友人がうちの家内にこう言った。
ぼくは医者が偉いなんて思ったことがない。
だから仕事を終えて家に帰れば、当然食器を洗うし洗濯物もたたむ。
息子たちにも「母さんを悲しませるようなことをしたら許さない」と教え、家事を担わせてきた。
そして、そんな話を耳にして「なんて羨ましい」と家内は思ったのだった。
今でこそわたしは皿を洗うしトイレも洗うし風呂も洗うし洗濯をし布団を干しゴミも出し、食事の際には食器を並べ後片付けもしそれを習慣としているが、若い頃にはそんな了見はなかった。
もちろん「母さんを悲しませるようなことをしたら許さない」と息子たちをしつけるといったこともなかった。
だからその裏表のない友人の話を家内が羨ましがって、ちょいとわたしをなじるのもやむを得ないことと言えた。
こんなとき、反論してはならず、言い訳してはならない。
家内は決してわたしという人格をやり玉にあげている訳ではなく、過去の事実について寸評しているに過ぎず、その証拠、人格攻撃なら鳴り止まないが寸評であるから時期に終わって話題も変わる。
若い頃はそんなことも分からずに言い返したりなどして状況を悪化させ、終わりのない水掛け論に疲弊していたが、かつて未熟だったわたしもいつしか学んで大人になった。
女房に対し意見したり説教じみたことを言ったりするなど今ではあり得ず、加えて、心配させるようなことは口にしないし、女房を皮肉ったり女房の考えに水を差すようなことも一切ない。
女子は生まれたときから世界の中心。
それを端に追いやるような心得違いは、男子としてもってのほかと謗られるべき話だろう。
ご機嫌麗しくあるよう日々取り計らい、周囲にもそれを求め、もし万一、女房の機嫌を損ねる不届き者があれば、女房もそうだがわたしも黙っちゃいない。
いつしかそうなって、それで万事がうまく運ぶようになった。
もっと早くから気づいていればと思うから、息子にあてて日記を残す。
その人がそのままであって、それでいい。
そう思えるかどうか。
伴侶を娶る際、自問し答えが否であれば、別の人をあたった方がいいだろう。