もうこの歳なので葛藤と向き合わない。
業務を終えて夕刻、空腹を覚えた。
この後ジムへと行く予定にしているから、腹が減っては心許ない。
若い頃であれば、ここで生じる葛藤に心を捉えられただろう。
間食しては元も子もない。
だから食べるべきではない。
いや、でも食べたい。
いまはもう揺れ動かない。
この歳である。
食べたところで、また、食べなかったところで、均せば同じ。
ジタバタしても始まらない。
心の声に素直に従い、腹に幾ばくか詰め込んでジムへと向かった。
ジムを終え、月曜、火曜に引き続きこの日もノンアルで過ごした。
ハードに運動した後、ビールでも飲みたいとの気持ちもある。
が、飲むと文字が頭に入ってこない。
だからノンアルで済ませて、本を手にとり寝そべって静謐な夜の時間を楽しんだ。
飲まずに過ごすと体調がすこぶるよく、本を読むから少しばかり頭もよくなる。
その「良さ」を実感するから、日常すべてをそう一貫させるのが正しい、そう思える。
が、木曜には寿司屋の予約が入っている。
女房と寿司をつまんでお酒を飲んで過ごす時間はこれまた楽しい。
よって別種の「良さ」に譲歩して、素直に木曜は飲むことになる。
そしてそのまま三連休となるから、本などそっちのけ。
向こう側へと心が傾けば、そのまま居着いて夜は飲酒で締め括られることになる。
で、来週も飲む日が日常に入り込む。
遠方での長い業務を終えた後、わざわざジムへと行って、そのあと本を読むなどまどろっこしい。
それならいっそ業務が終われば一気に弛緩と決め込んで、仕事に入魂するのがいいだろう。
それで間違いなく仕事の質も向上する。
このように緩やかな原則だけがあって、あとはその都度テキトーに対処する。
そもそも、原則を守るために生きているのではない。
原則に縛られ過度に気張ってしまえば窮屈で、結局は不完全燃焼。
負け越しとなるのは目に見えている。
例外もおおらか取り入れて、要は半々。
ドローで十分ではないだろうか。
33期谷口くんが、いみじくも言っていた。
もうこの歳だから、嫌なことをせず好きに生きよう。
そうそう、好きに生きればいいのである。
その方が原則も例外もどちらの良さも際立って、よい人生になることだろう。