3年前のこと、親子の縁を切るとの話になった。
元旦のことだった。
正月になると実家に親戚が集まった。
朝から飲んで酔って騒ぐ姿は見ていて耐え難いものだった。
それが嫌で妹家族の足は遠のき、このときはわたしの家族も誰一人として顔を出さなかった。
つまり、元旦の実家は母の子どもたちも孫たちも寄り付かない場所になっていたのだった。
そしてその宴会を切り盛りする母はただでさえ人によくするのが生き甲斐のような人であったから過剰に頑張ってその労苦は並大抵のものではなかっただろう。
こんなことはもうやめにしよう。
かねてよりわたしは何度も言ってきたが意思決定も曖昧なまま、この慣習は生き長らえていた。
親戚のおじさんらに寂しい思いをさせたくない。
それが存続の理由だったのだろうが、なんて馬鹿げたことだろう。
ただ三年前のこのときは酔いの無様さが目に余って堪忍袋の緒が切れた。
いい加減にしろとわたしは語気を荒らげ、しかし、いったいなんだと父もわたしに怒りで対した。
それで親子の縁を切るとの話になって、わたしはひとり宴会の場を後にした。
その翌年、コロナの影響があって宴会は中止になった。
ずっと曖昧なままだった意思決定がコロナによって成し遂げられたのだった。
それでようやく母はゆっくりと過ごせる正月を迎えることができた。
墓参りへと向かう車中、「元旦はゆっくり眠れたわ」と心穏やかに言った母の言葉が忘れられない。
そしてその年の5月、母が他界した。
ゆっくりと過ごせた正月はたったの一回で終わってしまったのだった。
だからいつも思うのである。
何十年と続いたあの宴会は一体何だったのだ、と。
いまコロナは収まったが、もうあのような集まりが再開されることは絶対にあり得ない。
母が不在となった実家で酒盛りするなどわたしが許すはずがない。
もっと早く、カラダを張ってでもあんな馬鹿げた宴会はやめさせるべきだった。
アホ丸出しで酒を飲んで大きい声を出すおっさんらをよそに、母はほんとうにたいへんだっただろうと思う。
元旦は母の子どもたちや孫たちが実家に集まって仲良く穏やかに過ごす。
そんな当たり前の幸せを母に享受してもらいたかった。
遅すぎるが今になって父も同じ気持ちに至っているだろう。
その痛恨はとても言葉では表し難い。