昔はいくら忙しくても予定自体が少なかったからスケジュール管理などせずともやっていけた。
しかしいつしかあれやこれやと仕事が増えて、とても空で把握できる分量ではなくなった。
このところは失念しないよう小さな用事であってもカレンダーに入力しなければならなくなった。
もちろん仕事の締切や作業日についてもあらかじめカレンダーのなかで予定枠をとり、あとで慌てることがないよう日々カレンダーを注視するようにしている。
金曜の業務を終え、居酒屋にてクールダウンの時間に憩っていると家内からメッセージが届いた。
「週末は裏庭の草抜きをよろしく」
が、急に言われても心の準備ができていない。
カレンダーを凝視して、運動を兼ね裏庭と格闘する日を選択し、「草抜きはこの日に必ずするから今週末は勘弁」と返信した。
カレンダーを開けたついでに年末にかけての予定を確認し、そうそう年末だからどこかで年賀状とも対峙しなければならないと気がついた。
この日あたりでこなしておこうと時間を確保し、そのとき33期の友人の言葉が脳裏に蘇った。
飲み屋でのこと。
「年賀状に写る夫婦の笑顔など嘘っぱちだよ」
彼はそう言い、周囲に座る何人かが頷いた。
ふだん険悪なのに、年賀状用の写真を撮るときだけ無理に笑顔を作る。
だから、そこに写り込む仲睦まじさは演出以外の何ものでもない、とのことであった。
なるほど、やはりそうなのか。
年賀状など元祖SNSみたいなものであり、演出であってなんら不思議なことではないが、改めて舞台裏を明かされれば、その意外に多少は驚く。
いまやあらゆる局面で真偽を読み解くリテラシーが不可欠になった。
単なる年賀状であっても、鮮やかな青で着色された隣の芝生は虚像であるのかもしれない、そう心して割増し分の笑顔を差し引いてその背景を読み取らなければならない。
さもなければ、他所はこんなに仲がいいのだと真に受けて、彼我を引き比べて夫にあたり、更に関係が悪化するということになりかねない。
ひとりくつろぎお酒を飲みながら、あれこれ注文していった。
ここの店員のおばさんたちはみな優しいから、ついつい長居し多くを頼んでしまう。
で、わたしは思うのだった。
笑顔自体、もしかしたらその多くは作り物なのかもしれない。
わたしに向けられるあの笑顔もこの笑顔も、街で見かけるあの笑顔もこの笑顔も、いろいろ背景に事情があっての表情であり、ヘラヘラと真に受けてしまうとすればお人好しにもほどがある、といったことなのではないだろうか。
人は奥行きをもった存在でとても一面だけでは語れない。
結局は「人の顔には裏がある」との当たり前の常識をわきまえておくべきとの話になるのだろう。