昼夜降り続いた雨があがって寒冷前線が日本列島に押し寄せてきた。
一気に冷え込み、近畿地方に木枯らし一号が吹いたこの土曜、家内は料理教室に参加するため京都へと出かけて行った。
それでわたしはひとり好き勝手に過ごすことになった。
忙しかった一週間から解放されて、一昔前なら昼から焼肉屋にでも繰り出していたかもしれない。
しかし、五十を過ぎてようやく少しは分別が備わってきたのだろう。
自由に使えるこの一日を迷うことなくわたしは自分自身にとって必須のルーティンに充てることにした。
手がかじかむような冷気を跳ね返しつつ、まずは武庫川を走った。
そして昼食を挟み、ジム活をこなした。
ジムを終え、いつもの土曜ならさあ晩酌となるのだが、どういう訳か気が進まず、わたしはノンアルの方にまっすぐ手を伸ばした。
と言っても、アサヒのノンアルの新製品がビールと違わぬ風味であったから、別に何かを我慢した訳ではなかった。
ノンアルだから量を飲むことなく意識も明瞭なまま。
いいことずくめと思えた。
溜まった新聞などに目を通していると長男から写メが送られてきた。
この日、商社混成のラグビーチームに参加して試合に出場したという。
芦屋ラグビーのチームメイトと並んで肩を組む写真が微笑ましい。
一緒に練習に明け暮れていた小学生の頃、この二人が揃って商社マンになって丸の内と大手町で働くことになるなど想像もしなかった。
やはり未来のことなど分からない。
しかし後付けではあるが導きのようなものがあったと思えばそう思える。
うっすらぼんやり道行きが示されて、倦まず弛まず進んでいるうち、随所随所で非線形的にステージが変わっていった。
非線形であるから再現性に乏しく小さな奇跡が積み重なったと言えなくもない。
そのように思いがけない形で「拾い上げられていった」のであるから、この世は不思議に満ちている。
そして、拾い上げられることもあるなら、当然、その逆もある。
そう心得るのがまともな知性というものだろう。
だとすれば、人知を超えたこのメカニズムの手の平のうえ、酔って浮かれている場合ではないのだと、シラフであればこそやたらリアルな実感が伴った。