仕事後にジムを終え、お酒は飲まず夕飯も腹八分目で抑えた。
カラダがとても楽で意識は明瞭。
夜の時間を憩うコンディションとして最良と言えた。
ベッドに横たわって弛緩し、わたしは最良の「楽」に心置きなくひたった。
日中は暑かったが窓から吹き込む風が涼しく、時を追うごとひんやり感を増していった。
寝室の冷房はもはや今夏の役目を終えたと言っていいだろう。
そのように憩っていると、通りを挟んだ公園から会話が聞こえてきた。
うちの家と隣家の壁がちょうど気柱の役割を果たし、そこで音が共振するからこっちにまで結構明瞭に声が伝わってくるのだった。
公園のベンチの側からすればまさかそんなところにまで声が届いているなど想像もできないだろうが、まさに筒抜け。
バイト帰りの高校生が中学時代の友人らと駅でばったり出くわし、それでジュースなどを買いもって公園のベンチで昔話に花を咲かせている。
会話からそう窺えた。
おまえああだったよな、そうそうああだった、おまえはところでこうだったよね、そうそうこうだった、ああなつかしい。
そんな会話が微笑ましく、聞いていて楽しい。
そうそう、会話とは本来、わたしたち人の心を和ませるものなのだ。
先日の敬老の日の翌日、わたしは実家を訪れた。
父と話していると甥っ子も姿を見せた。
相当鍛えているのだろう。
甥っ子の肩幅、胸板が更にごつくなっていて、それを褒めそやして父が昔話をはじめた。
若い頃は意味もなくカラダを鍛えた。
こんちくしょうとただ強くなろうと思って、それで最初は細かったカラダが見違えた。
そう言えば、と話につられてわたしも昔を思い出した。
うちの小さな下町の家には、狭いのにバーベルがあった。
バーベルの残像と父の話が整合して合体し、狭苦しい部屋でバーベルを上げ下げする若き父の姿が目に浮かんだ。
この時点でその像はわたしの記憶となった。
やはり血筋なのか。
うちの息子たちもカラダを鍛えている。
孫がみなごつくてたくましい、つまり血は争えない。
そう言って皆であっはっはと笑って、わたしは思った。
わたしたちはみな各自の世界に立ち向かっている。
要は戦い。
それが避けられないからこそ、わたしたちには気心知れてあっはっはと笑って過ごせる場所が不可欠なのである。
公園から漏れ聞こえる高校生の和気あいあいとした会話を耳にして、改めてわたしはそう再認識した。
だからうちの家内についても、当てこすられたり怒鳴られたりといったことがなく、ふつうに安心してそこがくつろいで会話できる場であったとすれば、たったそれだけのことで、もっとふんわり楽しく今よりはるかに幸せであったに違いなく、であればわたしも輪をかけてもっと幸せに過ごせたのだろう。
そんなことを思いつつ、わたしはいつしか寝入って夢のなかにあった。
夢は終盤に差し掛かっていた。
教室を出て校門までずっと喋って一緒だったのがアキオで、じゃあねとわかれてわたしは家へと帰った。
家にはいつもどおりおとんがいておかんがいて弟も妹もいた。
夢のなかではいつだってみなが勢ぞろいしているのだった。
目覚めて、つくづく思った。
わたしには夢のなかにも楽しく話せる場所がある。
なんて恵まれているのだろう。