朝食を求めコンビニに入ったところペヤングの新味が視界に入った。
ついつい定番と併せて手に取った。
続々と登場するペヤングの異色味は、定番の美味しさを再認識させるため、そして定番への回帰を強く促すための戦略なのだという。
つまりいったん浮気させてから本妻との縒りを戻し復縁させるといったような話と言えた。
わたしは異色味から先に食べ続いて定番を食べ、その戦略どおりやはり定番がいちばん美味しいと確信してから武庫川へと走りに出た。
帰宅すると息子へと送る料理が仕上がっていた。
わたしが荷詰めし、近所の配送センターへとクルマで運び冷蔵指定で発送した。
やることをやれば清々しい。
では日曜日を楽しもうと夫婦で出かけ、家内に連れられたのは万博記念競技場だった。
長男の親友の引退試合がありこれが見納めと観戦したのだった。
息子と彼はたまたま中一のときに席が前後した。
以降、まったく間が空くことなくずっと仲がいい。
高二になって息子は文系、彼は理系に進んだ。
方向性が異なっても、兄弟とも言える強固な仲は揺らがなかった。
足を怪我していたとのことでこの日の出番は少なかったが、医学部でただひとりギャングスターズの一線で活躍し続けたことが、誇らしい。
寒空のもと声援を送って、やがて試合が終わった。
このときもちろんわたしたちの心のなかに流れる曲はユーミンのノーサイドであった。
記念写真など撮ってから競技場を後にし、今度は阪急うめだ本店へと連れられた。
取り置きしている品があるとのことだった。
家内が試着し、パッと見て良く似合っていると思ったので「シルエットがいい、足がとても細く長く見える」と褒めちぎった。
それでデニムが購入決定となり、それに合わせるニットを選ぶのにも付き合って、ようやくのことお役御免となった。
時刻は夜の8時を過ぎていて、空腹が極まっていた。
特に予約などしていなかったが、ルクアに行けば何かあるだろうと足を向けた。
地下はいつも混んでいるが10階はさほどでもない。
そんな印象を抱いていたが、あにはからんや大混雑していた。
ほとんどが海外からの観光客であった。
「安いニッポン」
観光客からすればウハウハの場所なのだった。
しゃぶしゃぶ屋で順を待ち、ようやく案内された席の両隣が韓国人旅行者だった。
旅行者が店員相手に使ったカタコトの日本語を受けて日本語がお上手ですねと家内は話しかけ、しかし日本語も英語も通じなかったから曖昧な愛想笑いだけが返ってきて、気まずかったがそれでめげる家内ではなかった。
韓国人のあと隣席に座ったエジプト人青年らにも話しかけ、気を利かせたのかメニューに豚肉があるから注意してとお節介を焼き、なんでも食べられるから大丈夫とのそっけない返答がされたが、彼らは優しかったから思い直したのだろう、基本的なアラビア語を教えてくれるなどしてコミュニケーションをとってくれた。
家内と過ごせばこのように至る所でエピソードが満載となる。
寒さの増す夜道を家に向かって歩く間も家内の話は鳴り止まなかった。
わたしはふむふむと適当に聞き流してときおり空を見上げた。
西の空にはくっきりと夏の大三角が浮かんでいた。
振り返ると東の空からはオリオン座がいままさに姿を現そうとしていた。
季節の変わり目を天空に見つつ、その巨大な空のもと夫婦であることの素朴な実感にわたしはひたって、まさに上の空、家内の話は右から左なのだった。