今回でラグビー早慶戦は百戦目を数え、この記念すべき試合は秩父宮ではなく国立競技場で行われた。
わたしが早稲田出身で長男が慶応出身で二男が早稲田に在学中であり、やはり早慶に縁があるのだろう。
チケットを申し込むとプレミアムシートが当たった。
それでこの朝、日本晴れのもといつにも増してクッキリと雄々しい富士山を拝んで上京したのだった。
渋谷に宿をとっていたから新幹線を品川で降り山手線に乗り換えた。
途中、家内の隣の席が空いたがわたしは荷物が多いから座らなかった。
代わりにそこに座ったのは次長課長の河本さんだった。
テレビに出ていたときより痩せてみえ、いろいろあるのだろうと思えた。
駅を出てインディゴ渋谷まで歩いてそこに荷物を置き、暖かかったからコートも預けた。
ホテル前からタクシーに乗ってまもなく国立競技場に到着した。
時刻は正午。
試合までの2時間をラウンジで過ごすことにした。
ちょっと豪華な弁当がついて飲み放題だったから、ビールを皮切りにワインを赤白、そしてハイボールといった感じでランダムに飲み、わたしたちは試合を前にいい感じで出来上がった。
スタジアムに出るとグラウンドの緑と空の青が相俟ってその壮観にぷるる震えた。
そして早慶のちびっ子たちが作る花道の間を早慶の選手が並び立って入場しそこで胸が高鳴り、大音量で「都の西北」の斉唱となったからここで感涙を避けられるはずもなかった。
前列に座る早大OBのおじさんたちも泣いていたから、わたしだけが特殊というわけではないと家内は納得がいったようだった。
続いて塾歌の斉唱が始まると家内の隣のおじさんが立ち上がりコートを脱いだ。
おじさんが着込んでいたのが慶応のタイガージャージでこちらのおじさんも目を潤ませていたから、やはり両校ともに似たようなものであり、どこまでいっても相通じるところのあるライバル校なのだとこれまた家内は深く理解できたことだろう。
後方を振り返ると森さんや武見さんなど各年代の政府要人がずらりと居並び、早慶が集めて止まない母校愛の分厚さを一目瞭然のものにしていた。
試合は早稲田が終始優位に立って慶応を寄せ付けなかった。
味気ない試合であったがわたしたちは、明石ラグビースクール出身で報徳を経て慶応ラグビーの主将となった山田くんに親近感を覚え声援を送った。
大活躍し試合後にそのプレーで表彰されていたから観戦した価値は十分あった。
試合終了となって、この日慶応ラグビー部のロゴの入ったトレーナーを着ていた家内の記念写真を各所で撮っていると、老いた母を連れ観戦していた男性がおそらく彼の父であろう人の遺影を抱いている姿が目に入った。
いろいろな思い入れがあり、たくさんの思い出の詰まった早慶戦なのだった。
混み合うなか国立競技場前でGOを使ってタクシーを呼んだ。
そして競技場周辺以上にごった返す渋谷の群衆の中へとへとわたしたちは飲み込まれていくことになるのだった。