直前になって料理教室の予定をキャンセルし、「こんな機会は逃せない」と言って家内は甲子園球場へと出かけていった。
座席はアルプス席を真隣とする3塁側の内野席だった。
右隣に座るおじさんが慶応の団扇を持っていたからてっきりそうだと思って話しかけると、おじさんは立命館出身であり慶応とは何の関係もない人だった。
団扇はそこらで拾ったとのことだった。
そのおじさんは高校野球をはじめとするアマチュア野球の愛好家だとのことだった。
その野球解説を聞きながら家内の観戦が始まった。
いきなり先頭打者がホームランを放ち、出だしから慶応の応援のボルテージが最高潮に達した。
おじさんが指摘する以前、仙台育英の選手が球場の雰囲気に呑まれはじめていることが家内にも分かった。
仙台育英の強さは、その粘りにあった。
窮地にあってもしぶとく粘って展開を変える。
それが仙台育英の持ち味であったが、おじさんが言うとおり、仙台育英は見せ場すら作ることができず、ずるずると自滅していくように慶應の後塵を拝することになった。
数々の決勝戦をその目にしてきたおじさんは、幾つもの名勝負について家内に語り、そして言った。
これが全国高校野球の決勝戦とは物足りない。
わたしは業務を終え、まもなく試合終了の時刻であったから家内と合流するため甲子園球場へと足を向けていた。
ちょうど到着したとき試合が終わったとみえ、大勢の人が球場から掃き出されてきた。
大挙する人の流れが駅方向とバス停方向の二手に分かれ、空港行きのリムジンバスの乗り場には見る間に長蛇の列ができた。
わたしは球場の11号門の前で家内が出てくるのを待った。
甲子園球場で試合がある日は大幅に増便されるから、移動手段としてJR行きのバスが穴場だった。
次々とバスがやってきて、わたしたちは首尾よく横並びで座ることができた。
後ろの席には慶応の大学生らが座った。
この日の甲子園界隈はそこら中が慶應で溢れていた。
幼稚舎のちびっ子、保護者、塾高の生徒から大学生など大勢が詰めかけ、後ろの席から聞こえてくる話によれば、大企業のお偉方といったOBも応援に駆けつけていたとのことだった。
バスを降り、わたしたちは駅の南口にある和食屋の暖簾をくぐった。
カウンターに座ってビールとコース料理を頼み、家内が撮影した動画をiPhoneで再生させた。
鳴り止まぬ地響きのような応援を目にしてわたしは驚いた。
こんな応援を向こうに回して正気を保つのは容易なことではないだろう。
そんなことを思いながら家内の話に耳を傾けた。
隣に座っていた立命館のおじさんが言ったという。
「慶応の応援の迫力は、春の大会の時点でわかっていたが夏も妬ましいくらいの凄まじさだった。こんなに自信満々な集団に押せ押せで応援されれば、それだけで普通は気圧される。この応援に拮抗できる集団があるとすれば早稲田くらいしかないだろう」
なるほどとわたしは見知らぬおじさんの言葉に感心させられた。
そして改めて家内の動画を見て思った。
この決勝戦において慶応という旗印のもと結集する援軍の層の厚さが視覚化されたようなものであった。
それで一目瞭然。
慶応という共同体は単に「学校」と呼称するのではとても足りない何かなのだった。
だから慶応に進学するということは、どこか学校を選ぶといった次元に留まらない、人生の選択そのものなのだと言っても大げさではないだろう。
そしてその分厚い共同体に並び立つ存在があるとすれば、おじさんの洞察通り、早稲田をおいて他にない。
では今度は神宮で。
超満員の球場にて、応援を含めた早慶の総力戦を観戦しよう。
家内とそんな話になるのは当然の成り行きと言えた。