週の前半で業務をあらかたこなしていた。
だから、金曜には余裕ができた。
朝、実家に寄った。
まもなく年が明ける。
元旦の墓参りについて父と話し合い、お供えの品や時間などを取り決めた。
そのまま墓の話となった。
母の後、やがて父もそこに入る。
しかし、わたしはそこに入るつもりはない。
息子たちにわざわざ足を運んでもらおうと思わない。
どこか自分の気に入った場所に散骨してもらうか、女房と一緒に近所のお寺などに納骨してもらうので構わない。
墓参りするのは、わたしで最後になるだろう。
いつの日か墓じまいを考えることになる。
実家を後にし、移動しながら思った。
そもそもこの日記が墓みたいなものなのではないか。
墓石に手を合わせるといった持って回ったことをせずとも、クリックすれば息子たちはいつでもわたしに会うことができ、それでわたしは浮かばれる。
天王寺駅で電車を降りて、田中内科クリニックに立ち寄った。
年の瀬であるから、にんにく注射が欠かせない。
最終盤に言わば、ふんどしを締め直すようなもの。
看護師の手技が上手でまったく痛みを感じなかった。
それどころか、痒いところに手が届くというのだろうか、そうそうそんな感じでといったような気持ちよさすら覚えた。
針の先から体内へとニンニクのエキスが直接吸い込まれていき、得も言われぬような清涼感が全身に広がっていった。
そして足取りも軽く、そこから谷町線で天六へと向かい、続いては福効医院を訪れた。
毎年配ってくれるカレンダーが使いやすく、うちの女子職員がとても気に入っている。
それで2つ頂戴と頼んだところ6つも持たせてくれたから、これで向こう一年、カレンダーの心配は不要となった。
カレンダーを手に提げ事務所へと向かいつつ、はたとわたしは気がついた。
33期の皆が各所で元気に頑張っている。
これほど励みになることはない。
つまり、33期の全員がニンニク注射のような存在なのだった。
向こう一年どころか一生、わたしは活力に困ることはないだろう。
事務所にて業務し、まもなく夕刻となってわたしは福島へと向かった。
一足先に店に到着しカウンター席に座ってビールを注いでいると、梅田でのジム活を終えたばかりの家内が現れた。
サウナにたっぷり入って来たのだろう、頬が上気していた。
大阪の福島らしく飾らない店の雰囲気が実によく、味も申し分なかった。
激戦の地で揉まれるなか揺らがぬ評価を高く維持しているだけのことはあった。
寿司をつまみながら女房とおちょこで日本酒を酌み交わした。
やがて頬の上気が日本酒によるものに取って代わっていった。
それでわたしはふと思ったのだった。
こんな二人がいつか骨になる。
まさかね。
しかしこうして並んで一緒に過ごしていること自体もよくよく考えれば奇跡と言え、それこそまさかね、という話であった。
つまり、まさか、まさかが連なって、そうしてやがては、これまたまさかで骨へと至る。
そう思うと、最後のまさかがいかにもなんとも味気ない。
だからわたしは心密かに決めたのだった。
まさか、まさかを書き連ね、せめて言葉としてでもここに残ろう。
そうすればこれらまさかもきっと報われるに違いない。