もういくつ寝ると息子たちが帰ってくる。
ホリデーシーズンに差し掛かり、家内の頭を占めるのはやはり息子たちのことであった。
雨が降るとの予報だったので、わたしは朝一番で武庫川を走った。
戻ってくると家内に促されすぐに支度しわたしは助手席に乗り込んだ。
行き先は本町にある問屋さんで、混み合う前に入店しそこで息子たちのための肌着や寝具などを買うという。
結局、食材なども買い込むことになり、いつものとおり買物を終え疲労困憊となった。
昼食を済ませて家に戻って、今日は休むと家内がいうから、わたしはテイクアウトしたカレーを腹に入れ小雨降るなかひとりジムへと赴いた。
重力から解き放たれる喜びにひたりつつ泳ぎ、わたしは普通の日常について考えた。
休日に夫婦で出かけて子どものための買い物に勤しむ。
ありきたりでごく普通の一日を振り返り、つくづく思った。
そんな日常が芯として存在するから、暮らしが確かなものになっていく。
つまりこの「普通」が生きていく上での肝心要と言えるのだった。
遠くない将来、長男は誰か見つけて結婚するだろう。
続く二男の結婚もさしてタイムラグのない時期に重なるに違いない。
だからぜひとも彼らにこの「普通」が大事と伝えておかねばならないだろう。
心底願う。
世にあふれる諍いの絶えない夫婦になど絶対になってもらいたくない。
互い蔑み罵り合い、裏切り合い、果てには憎しみ合う。
まるで心に大きな穴が空いてしまって、心的エネルギーが無為にダダ漏れになるような暮らしを余儀なくされるなど、あってはならないことである。
普通をよしとする普通の人を探して、その人を普通に大事にし、決して傷つけることなく、だから心やましいこともなく、普通に形成される家庭円満に包まれて、ごく普通に生きてゆく。
それが何よりなのだと声を大にして伝えたい。
ジムを終える時間を見計らって家内から連絡が入った。
言われるまま西宮阪急に寄り、特設の野菜コーナーで鍋に投入する野菜を見繕い、葛きりを買い、そこからは単独行動で、わたしはクエだけで足りないと思って鍋の具を物色し、結局は豚肉と牛肉をひと盛りずつ買って、雑炊がない場合に備えて、柿の葉寿司を忍ばせた。
屋外に出るとすっかり雨はあがり、これまた予報どおり風が冷たさを増していた。
鍋をするのにちょうどいい夜と言えた。
リビングにあがると、家内が既に支度を整えていた。
ビールを注ぎ合って、鍋に具を投入していった。
まずはクエのアラからはじめ、続いて身を入れた。
クエの美味しいことといったらなかった。
とろける美味しさで、これはお客さんが送ってくださったものであったが、息子たちにも食べさせたいとなるのが自然の流れで、その場でふるさと納税のサイトを調べて、年内発送可との品を二種類選んで注文した。
家内にクエの身を多めに譲って、わたしは牛と豚にかかった。
クエの出汁が野菜だけでなく肉の旨味を倍加させ、実においしかったが、雑炊は明日へとお預けになった。
わたしは結構な量を口にした。
にもかかわらず、少し食べ足りないと感じちょいと夜食をつまんでしまったのは、酔いのせいもあっただろう。