平日の夕刻、プールはガラ空きだった。
レーンを独占し悠々と泳いだ。
いまや一等地とも言える西宮北口にこれだけ巨大なプールがあって、そこでまだ明るいうちから泳げる。
その幸福に浸るうち、いつしかわたしの頭の中では今年訪れた旅先の場面が去来し始めていた。
頭の中を可視化できるとすればこのとき、各地の景観や食べ物などのスライドショーがプールの中をぶくぶくと行ったり来たりしていたと言えるだろう。
そしてやがてそれらスライドが水中にて一緒くたになって融合し、万華鏡のごとくゆらめく映像と化していった。
泳いで思いがけず、そんな映像群のなかを遊泳するも同然の一年を送ったのだとわたしは身をもって体感したのだった。
ジムを終え家に戻ると、まもなく家内も帰ってきた。
大阪でのジム活のあと美容院に寄ってきたというから、間髪入れず、めっちゃ似合うとわたしは言った。
道中、いい寿司屋があったから週末の予約を入れたという。
その予定をiPhoneのカレンダーに入力しながら、事のついでにわたしたちは今月来月の食事予定をあれこれと組んでいった。
そのように食べることをテーマに過ごす夜であったが、わたしは夕飯を質素に済ませた。
なにしろ昼の定食に味噌煮込みうどんが付いていて、いくらなんでも食べ過ぎだったからバランスを取らねばならなかった。
と、長男からメッセージが送られてきた。
そこに社食の写真が添えられていて、それが社食なのかと夫婦で大いに驚いた。
驚くわたしたちに息子は付け足した。
とても素晴らしい会社なのです。
その一枚の写真が家内にしかと告げ知らせた。
もう息子の食事に気を揉むことは不要なのだと。
一方のわたしは、こうしたやりとりに触れて確信した。
最期の最期。
わたしをあたたかに包む万華鏡の映像は、人生を共に歩んだ女房と躍動する息子たちの姿で占められることだろう。
そしてそこにずっと永く留まり揺蕩って、それら映像がわたしにふんわりやわらかに物語る。
これほど幸福にどっぷりと浸かった人生はそうそうない。