年齢を重ねるごとに差は歴然となっていく。
拮抗したり抜きつ抜かれつということは少なく、最初は僅かと思えた差が積み上がり、やがて甚大となる。
先日、たまたま同じ空間に居合わせた。
何年ぶりだろう。
こちらは気づき、しかし相手はまったく気づいていないようだった。
下顎の肉がだぶつき、表情は精彩なくのっぺりとし、それだけで日頃の散漫で冗長な暮らしぶりが窺えた。
全体的な肉厚感が増し、余分なものが降り積もるままに任せているのだと一目瞭然だった。
それでふくよか、というのであれば印象も変わるのだろうが、どこからどう見ても無為な膨張は陰な変成過程を経た結果、いかにも品がなくプアで、あまりよい食事をしていないと分かったし、そもそもあまりよい時間を過ごしていないのだろうと窺えた。
どうしたって取り繕えない。
それはあっけなく伝わってしまうのだった。
当初は若さが食い止めていたのだろう劣化の進軍は、若さという援軍が撤退した途端、手入れや運動や節制が伴わないから、戦線を思うまま拡大しているのだと見受けられた。
荒れ地を前にだから声をかけるのが躊躇われたし、そもそもかける言葉が見つからなかった。
わたしたちはクルマに乗り込みその場所を後にした。
しばし無言のあと、人生の無常を痛切に感じわたしたちはため息をついた。
とどのつまりは後先の話。
劣化を寄せ付けないよういろいろ頑張ったところで、遅かれ早かれわたしたちもその波にいずれ飲み込まれてしまう。
抵抗しても無駄とのリアルを目の当たりにして、胸に生じたのは悲しみで、だからわたしたちは言葉を失ってしまったのだろう。