KORANIKATARU

子らに語る時々日記

とどのつまりは後先の話

年齢を重ねるごとに差は歴然となっていく。

拮抗したり抜きつ抜かれつということは少なく、最初は僅かと思えた差が積み上がり、やがて甚大となる。

 

先日、たまたま同じ空間に居合わせた。

何年ぶりだろう。

 

こちらは気づき、しかし相手はまったく気づいていないようだった。

 

下顎の肉がだぶつき、表情は精彩なくのっぺりとし、それだけで日頃の散漫で冗長な暮らしぶりが窺えた。

 

全体的な肉厚感が増し、余分なものが降り積もるままに任せているのだと一目瞭然だった。

 

それでふくよか、というのであれば印象も変わるのだろうが、どこからどう見ても無為な膨張は陰な変成過程を経た結果、いかにも品がなくプアで、あまりよい食事をしていないと分かったし、そもそもあまりよい時間を過ごしていないのだろうと窺えた。

 

どうしたって取り繕えない。

それはあっけなく伝わってしまうのだった。

 

当初は若さが食い止めていたのだろう劣化の進軍は、若さという援軍が撤退した途端、手入れや運動や節制が伴わないから、戦線を思うまま拡大しているのだと見受けられた。

 

荒れ地を前にだから声をかけるのが躊躇われたし、そもそもかける言葉が見つからなかった。

 

わたしたちはクルマに乗り込みその場所を後にした。

しばし無言のあと、人生の無常を痛切に感じわたしたちはため息をついた。

 

とどのつまりは後先の話。

劣化を寄せ付けないよういろいろ頑張ったところで、遅かれ早かれわたしたちもその波にいずれ飲み込まれてしまう。

 

抵抗しても無駄とのリアルを目の当たりにして、胸に生じたのは悲しみで、だからわたしたちは言葉を失ってしまったのだろう。

2023年12月20日昼 祇園四条 彩席ちもと

2023年12月20日午後 出町柳 みつばち → 堺町 柴野和久傳

2023年12月20日夜 すき焼きと和久傳の鯛ちらし弁当