二男を送り出した後、長男を乗せ墓参りに赴いた。
途中、スタバで家内が三人分のコーヒーを買い、晴天のお盆初日、車内は朝の良き香りに満ち満ちた。
運転しながら隣に座る長男に誰が墓に眠るのかエピソードを交え語った。
読書家で物静かだった祖父はかなりお洒落な人物だった。
わたしはちびっ子だったから気にも留めていなかったが、いま思えば俳優がするような格好をしていた。
季節に合った帽子を被り、普段からシャツとジャケットを着用していた。
頑張り屋の祖母は足腰が立たなくなるまで働いた。
不死身のボクサーみたいなものである。
足下覚束なくても遠路を押して行商に出かけようとしていたのだからその心を思うだけで涙が溢れる。
いっときはアディダスしか身につけなかった長男も今はラルフで決めて様になっている。
二日酔いでもジムでのトレーニングを欠かせないからガッツもある。
その源流を辿って思いを向けるのが墓参りである。
そう話しつつ、わたしの胸は感謝と労いの気持ちでいっぱいになった。
長男もいつか語る側の立場になることだろう。
彼が前日会ってきたうちの両親だっていつかここで眠る。
誰であれ人は思い出され語られるべき存在。
わたしが息子に語り、息子がその息子に語ってそれがひとつの流れになる。
流れの担い手として源流を訪れ手を合わせるのは当たり前のことと言えるだろう。
墓参りを終えて、帰途に着いた。
昼に何を食べようか。
息子が寿司と言ったので水走から阪神高速に乗って一路明石へとクルマを走らせた。
うちの息子らにとって寿司と言えば寿司大和が筆頭にあがる。
明石公園で遊んだ後、ふとしたきっかけで訪れ折に触れ寄るようになった。
創業19年のその寿司屋は息子らの成長と軌を一にしているも同然と言えた。
息子らは物心ついた頃から本格的な寿司に馴染んできたのだった。
だから、一度誰かに百円寿司に連れられたとき、すべてのネタがプラスティックに思えたというのも仕方のないことだった。
この日も相変わらず寿司大和はめちゃくちゃ美味しかった。
寿司をつまんで思い出話に花が咲く。
大和はお盆の恒例行事になることだろう。
二男の分のおみやげも握ってもらい家内の運転で家路に就いた。
そして帰宅し、長男は芦屋が休みだというので尼崎のセントラルスポーツに出かけ、わたしたちは家内の英語レッスンの後で鳴尾のジョイフィットに向かった。
おいしいものを食べた罪滅ぼしをするみたいに一時間たっぷり運動した。
運動の後は良質のタンパク質が欠かせない。
寿司大和で持ち帰った明石の鯛のほか愛媛の鯛も冷蔵庫で出番を待っていたが魚だけだと物足りない。
肉屋は軒並み閉まっている時刻。
スーパーコーヨーに寄って肉を各種選んだ。
息子の好みを家内は知り尽くしている。
同じ肉を買って焼いて出すということはない。
長男にはサシの少ない大ぶりのステーキを選び、二男には焼肉サイズのロースとモモを選んだ。
帰ってすぐに肉を焼き、そして家内は英語レッスン2本目に対峙した。
海の向こうの誰かとにこやか英語で話す家内をかたわらに、わたしは夕飯を楽しんだ。
息子らが帰宅したとき陽気なアメリカン的お出迎えになるのは間違いのないことだった。


昔の8月13日 2017年 上海