素麺で簡単に朝食を済ませてから京都に向かった。
助手席の家内がいつにも増して饒舌。
運転するわたしに向け話していたかと思えば後部座席に座る長男にも話しかける。
話題が尽きれば静かになる。
そう思っていたが、この日家内が話し止むことはなかった。
京都を訪れる目的は肉の調達。
長男が帰省すれば、にし田の肉を食べさせると予てより決めていた。
普段は買っても2万円程度で済むが張り切って買い込んだので3万円を超えた。
もしこの家族4人で焼肉屋に行けば5万はかかる。
そう思えば安くあがったと喜ぶべき話だろう。
せっかくなので昼を食べて帰ることにした。
京洋食まつもとは、にし田からクルマで5分ほどの場所にあった。
息子がステーキを選んだのでわたしも合わせた。
家内は人気メニューであるハンバーグを注文した。
待つこと30分。
念入りに焼いているのだろうか。
しかし客の入りがまばらであることを考えれば、いくらなんでも時間がかかり過ぎだった。
このまま永遠に家内の話を聴き続けるのかと前途を憂い始めたとき、ようやくにして食事が運ばれてきた。
で、わたしと息子は肉を一口食べて目を丸くした。
ふんわりとろけて、めちゃくちゃうまい。
空腹を堪え待ち焦がれていたからではなかった。
素材と味付けが完璧。
家内も納得。
いままで食べた肉をごぼう抜きにしこの肉がベスト・ワン、そう家族の評価が一致した。
当たり前のようにご飯をお代わりするわたしに対し、炭水化物は控えめにと長男が助言をくれた。
まったく無駄のない肉体を誇る長男であるので、その言葉は説得力に満ちていた。
ラグビーの練習が再開し、多い日には20km走ることがあり、それでも線が細くならないよう大量に食べて筋トレも欠かさない。
しかし炭水化物は無闇矢鱈には口にしないのだという。
カラダの素材はいいから食べ物に気をつけもっと筋肉を鍛えた方がいい。
老いては子に従え。
わたしは息子の言葉に頷いた。
まもなく午後2時。
大阪星光の保護者会がZoomで行われる予定になっていた。
わたしたちは場所を変えることにした。
夫婦で前を歩き、時折振り返って後を歩く息子の体躯に目を細める。
そのように歩いてほどなくして、とらやに到着した。
屋内ではなく、屋外に席を取ってもらった。
庭園を吹き渡る風が雅で心地いい。
タブレットをテーブルに置き星光の先生の言葉に耳を傾けつつ、かき氷を食べ食後のひとときを心穏やか過ごした。
その間、家内の口数が多少は減り、その減った分だけ、長男がいろいろと話してくれた。
留学生を空港まで見送った話が特に印象に残った。
仲良くしていた留学生が帰国する日、見送りのため朝6時に待ち合わせた。
日頃は寝坊助の友人も含め全員が時間どおりに出揃った。
名残を惜しみつつ電車に揺られ、別れが胸に迫ったのだろう、ひとりが涙を堪えきれなくなり、早朝の電車のなか涙が伝染し、男7人が号泣することになった。
それぞれ皆がひとり暮らしをする者たち。
共感を寄せ合い、思い募るものがあったのだろう。
ちなみに、バックグラウンドを聞けば驚くような者ばかりである。
そんな男らが一致団結して声をあげて泣いたというから、その輪が眩しい。
やはり息子を東京にやって正解だった。
用事が済んで帰宅して、長男は芦屋のセントラルスポーツに向かい、わたしは近所のジョイフィットに向かった。
家内は夕飯の支度をするという。
わたしが先に戻り、次に午後8時過ぎ、二男が戻った。
この日も模試の会場は先週に引き続き大阪星光だった。
先週の河合塾のスタッフと同様、駿台のスタッフも可愛く、また、これも先週と同様、灘の生徒が大勢参加していた。
甲陽もちらほらいて、灘、甲陽の顔ぶれのなか能開センターで一緒だった友だちを何人も見かけたという。
中学入試という地方予選からあっという間に6年。
いよいよ受験の全国大会決勝戦が迫っているのだと息子は実感した。
最後に長男が帰宅して、これで勢揃い。
ベランダで七輪を囲んで車座になった。
にし田の肉は外れることがない。
この夜もとびきり美味しく、家族の団欒に一役買ってくれた。
火を囲むから全員が饒舌。
食べるほどに一体感が増していった。
だから午後9時半、家内の英語レッスンがはじまったとき、とても自然な感じでタブレットを順々に回し講師に英語で挨拶したのであったが、二男の英語の流暢をはるかに上回り長男の英語がまるでネイティブといったレベルであり、話の流れでそのままコロナに関する議論が長男と海の向こうの講師の間で繰り広げられ、わたしと家内と二男は狐につままれたような表情でその弁舌に聞き惚れた。
ガタイ頑健、友人も大勢。
そのうえ英語もかなりのレベル。
平和な土曜夜、家族はいたって幸福。
そんななか、兄が弟に力強い好作用を及ぼしたのは間違いのないことであった。