朝、吹田駅で降り北口に出ると、客待ちのタクシーが1台停車していた。
取り逃さぬよう、歩を早め乗り込んだ。
行き先を告げ、発進してすぐ運転手が切り出した。
冠二郎が亡くなりましたね。
顔が思い浮かばないので言葉に詰まっていると、運転手は次々、ここ最近亡くなった著名人について取り上げていった。
タクシー広報の訃報欄にもよく目を通すという。
ご自身と近い年代に目が行くからだろう。
このところ60代でなくなる人が多いんですよ、といって運転手はため息を漏らした。
そして運転手の兄の話になった。
タバコの吸い過ぎで肺がんになった末期、見舞いに行くと相部屋の病室は同病の方々で占められていた。
が、案外明るい雰囲気だったので驚いた。
兄をはじめ皆が、いま思えば強がっていたのか不安だったからか、次はおれだよ、いやあいつだよといったふうに談笑していたのだという。
その光景が頭に焼き付いていまも離れない。
運転手はそう言った。
そんな話を聞き、ヤニの臭いがその病室から押し寄せてくるかのようで、わたしは息苦しくなった。
話題が変わって、ヘビースモーカーからタクシーの車両を譲り受けたときは、車内がヤニだらけで洗い落とすのに二日かかったとの話になっていたが、ヤニの臭いと相まって、わたしの頭には相部屋のイメージだけが残り続けた。
余命数ヶ月といった方々の部屋であったのだろうが、その数ヶ月をちょいと引き延ばせば、わたしたちも相部屋にいるも同然。
そう思えた。
いま54歳だから余命を見積ったとして、まあなんとかあと20年、うまくいってせいぜい30年くらいだろうか。
四年に一回開催されるオリンピックやワールドカップなどを物差しにすれば、あと何回観ることができるのだろうといった程度の尺でしかない。
次はおれだよ、いやあいつだよ。
よくよく考えれば、そんな会話が身に沁みる年齢に差し掛かっているのだった。
移動に次ぐ移動で長い一日になった。
夕刻、業務を終えたとき、場所は三宮だった。
くたびれ果てていたので休息がてら、ぶらりひとり、適当に目の合った寿司屋に入った。
しつこいヤニのように頭にこびりついていた相部屋のイメージは、二本目のビールあたりできれいさっぱり洗い流されていった。