先日、東京で家内と食事していたときのこと。
隣で向かい合う男女の会話がヘイトめいた様相を帯び始めた。
最初は関西人はどうのこうの、京都人は大阪人はといった他愛のないレベルの話であった。
が、次第、対象が拡大しはじめた。
中国人はああだこうだ、台湾人は韓国人はといったように、ちょっと礼を失した話になっていった。
横からそんな話が聞こえてくるものだからわたしたちは不快感を覚えた。
かといって直接たしなめるのもお節介にすぎる。
だから、わたしたちはよき台湾人や韓国人や中国人の話をし、要はわたしたちの会話を通じ間接的な反論を試みたのだった。
しかしわたしたちの話は隣には届かないようだった。
ステレオタイプな悪口が面白くて仕方ないといった様子で話は繰り返され、徐々にアクの強いものになっていった。
やがて、関西人と韓国人と中国人はみな似たようなものと一刀両断にされ、そしてどういった脈絡か、東京以外に住む人間はぜんぶ貧しいといった話になった。
壁を背に座るその女性は四十から五十といった年齢に見えた。
女性の頭上にメニューが掲げられていて、その末尾がトラフグだった。
なるほど、その真ん丸に膨らんだ顔はまさにトラフグの風貌で、だからそこに名が記されているも同然と思えた。
わたしの隣側に座る男性も女性と同年齢くらいと見えた。
髪はぼさぼさの白髪でしなびてしょぼくれた感じの風采だった。
日曜の午後、わざわざトラフグと食事している時点で背景が推し量れ、同じような話ばかり繰り返して浮かべる笑顔が歪んでいたから、おつむの程度も窺い知れた。
いったいなんて陰気で根暗な話を続けているのだろう。
まるでネットの書き込みのような澱んだ会話を一掃するべく、わたしたちは歌って踊るような身振り手振りで、声量も豊かにあはは笑って、楽しい会話を繰り広げた。
わたしたちが帰ったあと、その男女は口々に言っていたに違いない。
やっぱり関西人なんて頭空っぽ、あんなものなのだ、と。