KORANIKATARU

子らに語る時々日記

あきらめずに済んでよかった

先日、家内に連れられ美術館を訪れた。

予約は午後3時半だったが、当日の都合で時間を前倒しにする必要があった。

 

まず最初、ウェブサイトを通じてわたしが時間の変更を試みた。

が、「いかなる理由があっても購入済みのチケットの変更は不可」との表示にたどり着くだけだった。

 

それでわたしは家内に言った。

「あきらめよう」

 

しかし、それで引き下がる家内ではなかった。

美術館へと即座電話し、担当に直談判して掛け合った。

 

モネを見るため上京したが、事情があって帰りの時間が迫っている。

ついては早い時間に変更して欲しい。

 

念ずれば通ず。

電話のやりとりであっさり変更が承認され、都合よくわたしたちは午後2時には中へと入ることができた。

 

さあ、どれどれ。

人混みを縫うようにして絵を鑑賞していくが、下地の知識がないから分からない。

 

視覚を通じて呼び起こされる体感が何か奥深いものと感じるからもちろん見事な絵だとは思うものの、へえとかふう、といった原始的な反応にとどまった。

 

だからヘッドフォンを通じての解説が不可欠だった。

面倒がらずに装着し、やっとそれで「識字」がかなった。

 

読み解けない絵が、言葉によって意味を帯びて立ち上がった。

時代背景や描画の狙いが分かると、そこに描かれる光や影がより鮮明になり、絵画を通じ、その場面の季節や空気までリアルに伝わってくるように感じられた。

 

体内に流れる遠い記憶の映像群が呼応するかのよう、事物や風景への愛が呼び覚まされ、次第、生きて在ることの喜びがじんわりと胸に湧いて出た。

まさしくこれは感動体験に他ならなかった。

 

あきらめずに済んでよかった。

じっくり一枚一枚、モネの渾身の作に触れ、素直にわたしはそう思った。

2024年1月19日 上野の森美術館 モネ 連作の情景