仕事を終えジムへと向かうつもりだったが、予定を変えた。
午後の面談業務で神経が摩耗して、精神的なエネルギーが枯渇していた。
こんなとき運動しようといった気持ちは生じない。
事務所に戻ると、手伝いに来ていた家内がそろそろ引き上げようとする頃合いだった。
ご飯でも食べようと、一緒に事務所を後にした。
地元にカウンター席だけのこじんまりした和食屋があり、そこを予約した。
店内にはわたしたちのほか、常連客らしき3人組がいるだけで、土地柄を反映し皆さん上品な方々であったから、ちょうどいい感じの賑わいと温度感が醸されていた。
夫婦で隣り合ってビールで乾杯し、おまかせで頼んだ料理の美味に舌鼓を打った。
そうしている間にくぐもった気持ちはいつしか晴れて、また元気が満ちてきた。
で、思ったのだった。
もし独り身だったら、わたしは精神的にかなりきつい人生を余儀なくされていたのではないだろうか。
日々小さな事柄にとらわれ視野は狭くなる一方で、知らず知らず心を圧して根暗で陰気が全身に染みわたるような存在になっていたに違いない。
しかし、女房がいて息子たちがいて助かった。
嫌なことがあっても女房と過ごせば、たちまち気持ちが明るく前を向いて健全さを取り戻すことができる。
そしてそんな嫌なことであっても息子らにとって有用な教材になると思えばマイナスがプラスに様変わりして、得した気分へと切り替わる。
家族がいて、おいしいものを食べることができ身体も丈夫で仕事も順調。
こっちが絶対的に主であり、ちょっと嫌な思いをすることなど例外的な話であって滅多になくそれで経済的な痛手を負う訳でも全くない。
つまり、憂いに沈む要素など何もなく、幸せそのもの。
独り身だと後ろばかり見てそんな眼前の当たり前にさえ気づきにくくなってしまっていたのではないだろうか。
ビールを皮切りに白ワインへと移り、終盤は夫婦で日本酒を注ぎ合った。
こんな楽しい時間を過ごせるなら、たまに嫌なことがあってもいい。
最後にはそんな気持ちになっていた。