KORANIKATARU

子らに語る時々日記

言葉に本性が現れ出る

考え事がある場合は考え続けるより、走るか泳ぐかした方がよい考えに結びつく。

だからこの日、業務を終えて雨のなか、わたしは泳ぐためにプールへと向かった。

 

無人のレーンをひとりで泳ぐ。

こういったとき頭は自ずと無思考になって、そこに生じた余白にいろいろな想念が巡り始める。

 

そして突如、思わぬ考えが立ち現れるのだった。

 

忘れかけていたあれやこれやも意識のなかに舞い戻り、それらを一望しての「考え」であるから机に向かってうんうん思考するよりはるかに仕上がりよく、おまけに身体を動かして気分もいいから、これぞ一挙両得といった話と言えるだろう。

 

この日は泳ぎつつ、前夜、天六のいんちょが言った言葉を思い返していた。

「他者に向けての言動に、そいつの本性が現れ出る」

 

例えば疑り深い人間がいるとする。

なぜ疑り深いかと言えば、その人自身が信用に足る人間ではないからである。

 

他の人間もその人と同様の内心を持ち合わせていることが前提になるから、誰も信用できず、誰に対しても疑り深いような言動が続出する。

 

つまり自身のなかのネガティブな要素が、馬脚を露わすかのように言葉となって丸出しになるということである。

 

幸い、わたしは疑り深い世界の正反対の側に属している。

33期をはじめ、当たり前にみなで信頼し合う仲に恵まれて誰かを疑うといった不自由を強いられることがない。

 

で、こういう言葉が出ることから言えるのは、わたし自身も信用に足る人間だということである。

これも皆のおかげ。

この場を借りて感謝の気持ちを伝えておきたい。

 

泳ぎつつ水中で形作られていった結論が、泳ぐごとに磨き上げられもうこれ以上にはないとピカピカになったところでわたしはプールからあがった。

 

頭のなかの考えをひとつ残らず取りこぼさぬよう、わたしはロッカーへと急ぎ、なんとも清々しい思いでメモ帳に書き殴った。

2024年3月6日昼 扇町 西洋茶館

2024年3月6日着 唐津焼

2024年3月5日夜 ジム後夫婦でおうちワイン