梅田の地下街は人流が入り乱れ、常にカオスといった様相を呈している。
特に朝の通勤ラッシュ時の無秩序ぶりは危険を感じるレベルと言っても過言ではないだろう。
大阪駅を降りわたしは東梅田駅へと向かい、阪神百貨店前の角を曲がった。
ちょうどそのとき逆方向へと進む男性がいて、その男性も同じタイミングで角を曲がるところだったから互いが相手の存在に気付いた時にはすでに遅し、双方の胸がぶつかった。
振り返ると、男性はこちらをみて怒りをあらわにし喧嘩腰でわたしににじり寄ってきた。
男性はわたしよりも頭がひとつ分くらい小さく、カラダは細くて薄く、いかにもちんちくりん、ひと目で弱いと窺えた。
しかし、ガッツだけは人一倍だった。
見かけの貧相さを、彼は気力でカバーしてきたのだろう。
男性はわたしに威勢よく立ち向かってきて「なんやおまえ」と啖呵を切った。
が、改めて眼前で見てとても小さく、その虚勢が何ともけなげでかわいらしいとわたしは感じた。
迎え撃つ形で対峙して、わたしは余裕を覚えた。
もし向こうが大男なら、わたしはすぐに謝って事なかれを目指しただろう。
相手が小さいからといって異なる対処をするなら人として間違っている。
だからわたしはにこやかに笑って素直に言った。
いや、すみませんね、大丈夫でしたか。
体格差を考えれば向こうの方が衝撃がでかかったに違いなく、だから気遣って当然の話だった。
わたしの恭しい態度をみて、男性の表情にほんの少しほっとしたような色が差したのが分かった。
総力をあげて作り上げた凄みは一気に緩んで笑みが浮かび、彼はわたしに教え諭すように言った。
「普通、左に避けるやろ」
そうは言うものの、角のところで彼が左折でわたしが右折だったから、彼からすれば左へと避けるのが自然だったかもしれないが、わたしとしては右へと一歩踏み込むのがそのときは自然な動きだった。
といった理屈は喉元で抑え、「そうなんですね、覚えておきます」とわたしは引き続きにこやか素直に男性に対処した。
それで一悶着は終了となった。
ほんだら今日はこれくらいにしたろといった感じで笑って、男性は背を向け立ち去った。
ああ、いいことをした。
紳士的な対応をした自分自身を褒めたいような気持ちで心晴れやか、わたしは事務所への道をたどって、そしてふと思った。
小さいということはうっかりすれば常にそれを意識することになる現象と言え、外を歩く度、気にし始めればその小ささから眼を背けようもなく、おのずと精神に複雑な影を落とし、だから過剰に向こうっ気が強いといったことになるのかもしれない。
わたしは自分のコンプレックスについて考えた。
若い頃はいろいろなことに劣等感を抱えていた。
しかしなぜだろう、いま心は平穏そのものである。
何かが欠けているといった不全感に悩まされるようなことが全くない。
強いて挙げればプールで泳ぐときに感じるくらいだろうか。
プールはレーンごとにレベル差があって棲み分けがある。
右に行けば行くほど速く、だからわたしは最右列には踏み込まない。
そこを泳ぐ人々の魚レベルの速さを横目にするとき、なんて遅いのだろうと自らを憐れむ。
しかしそのときちらと思うくらいで、その自己憐憫をこじらせて、生まれ変わって魚になりたいなどと願望することなど一切ない。
そもそも第一、そんなことを思い煩うような暇はなく、日々忙しくそれで毎日が充実している。
つまり余計な考えの忍び込む余地がまったくない。
なるほど。
若い頃、きっとわたしはきっと暇だったのだ。
付け入る隙だらけで、だから過剰にどうでもいいことを意識して、結果、自身に刃を向けるように自分を蔑んだのだろう。
ああ、なんてバカバカしい。
暇だとやはりろくなことはない。
荒波に揉まれれば削ぎ落とされるような過剰な自意識が野放しになって肥大して、つまり頭のなかが自分のことでいっぱいになって、なんだかそれで息苦しいということになる。
自分にフォーカスする余力もない。
それくらい忙しくてちょうどいい感じで精神の平衡が健全に保たれる。
それが人間のデフォルト設定なのだろう。