KORANIKATARU

子らに語る時々日記

息子として当然の話

3月も半ばというのにまだ肌寒い。

コートを羽織って、神戸へと赴いた。

 

会議だと聞いていたから気楽に臨んだ。

が、蓋を開ければわたしが講師役で自身の業務についてプレゼンする立場だったから一瞬、戸惑った。

 

与えられた時間は30分。

 

おもしろい。

わたしは状況を楽しむような気持ちになっていた。

別段準備がなくとも、仕事のことであればどのような切り口であっても長々と話せる。

 

話に強弱をつけながら反応を探りつつ、ふんだんにエピソードを織り交ぜて、だんだん場内と波長が合致していったから、実にうまい具合に話し遂げることができた。

 

ちょっと喋ったといった感覚だったのに途中でストップが入って、気づけば30分以上が経過していた。

わたしはかなり夢中になって話し込んだようであった。

 

質疑応答のあと皆さんと名刺交換をして、これでまたお客さんが増えるのであろうから、言うなればガマの油売りみたいなものである。

 

神戸からまっすぐ家に戻って残りの業務を片付けて、この夜もひとりだったから食事するためぶらりと外をうろついた。

 

頭に浮かんだのが正宗屋だったのでそちら方面へと移動した。

が、たまには違う店でもいいではないかと思い直し、その隣にあるや台ずしの引き戸を開けた。

 

結構うまい。

それで調子にのってがぶがぶ飲んで、いつしか、わたしの心にやってきたのは母だった。

 

母は寿司が大好物だった。

幼い頃、寿司屋の品書きをじっと眺め、お腹いっぱい寿司を食べる日のことを夢見た。

そんな話を母から聞いたことがあった。

 

ああ、なるほど。

この夜、わたしは母に引き寄せられ、隣の寿司屋へと足を踏み入れることになったに違いなかった。

 

だからわたしがお腹いっぱいになるまで寿司を頬張るのは息子として当然の話であった。

2024年3月13日夜 立花 や台ずし

2024年3月13日 女房の一人旅 三日目