先日の土曜、大和路線に乗って奈良へと向かっていたときのこと。
天王寺から母子が乗ってきて、わたしが座る四人席の方へとやってきた。
少年がわたしの前に座り、若い母が少年の横に荷物を置いてわたしの隣に腰掛けた。
どこからどう見ても塾帰りと見えた。
母が少年に言った。
いまのうちに少しでも寝ておきなさい。
帰ってからプリントの直しをして、あれをしてこれをしてと話が続いた。
車窓の向こうに目をやっていた少年は面倒くさそうに目を閉じて、窓に頭をもたせかけた。
こんな母であれば気がふさぐ。
わたしは少年の寝顔を眺めて、息苦しいような気持ちになった。
乗り換えを急ぐのだろう。
王寺駅に着くと母は少年を急き立てるように起こし、早足にホームの向こうへと連れ去っていった。
帰っていく家が安住の地ではない。
小さくなっていくその背を見送り、彼が不憫に思えて仕方なかった。
日曜の夕刻、わたしはジムを終え、家内はヨガを終え家で合流した。
家内が言った。
今日、駅で塾帰りの母娘を見かけた。
電車に乗るなり、母が娘に本を手渡し読むよう促した。
娘は心ここにあらず。
読むふりをしているだけのように見えた。
母親があんな風だと結構きつい。
家内の話に頷きつつ、わたしは大和路線で目にした光景を家内に話した。
そんな母たちがバトルする。
なんて中学受験はたいへんなのだろう。
そこから回想が始まった。
子どもの送迎や付き添いでわたしたちもたしかに一体となって過ごしたが、勉強について指図するようなことは一切なかった。
勉強した方がいい。
そんな話をしたのは彼らが大学生になってからで、学業を疎かにした我が身の愚かを省み、人生の先輩として一般論を述べたに留まる。
彼らが小学生だった頃はわたしも一緒になって映画を観てマンガを読み、もちろんたまには一緒に勉強もしたが、その後で息子と入るサウナが楽しみで、息子たちにしてもそれなり楽しい時間だったのではないだろうか。
そんな息子たちが巣立って、いまは自由。
だから話は回想から前へと向いた。
さてまた今度も旅に出よう。
結局、話はそこに行き着くのだった。