仕事が立て込んでいた。
だから朝5時には起きて作業にかかる必要があった。
一昔前は始発電車をも遅いと感じて出勤していたので、朝5時に起きるなどありふれたことだった。
しかしそんな若気の時代はとうに終りを迎え、ここ数年は早起きから解放された。
だからたまに朝5時に起きるとなると、辛くてたまらない。
この日の朝、寝床でその辛さに直面し、心に潜む反逆精神にスイッチが入った。
憎っくきは仕事。
もう今後は仕事に背を向け生きていく。
が、寝床でそう毒づくだけで5時半には起き出した。コーヒーを飲むうちエンジンがかかり始め、わたしは社会の良き構成員としての姿を取り戻していた。
そしてわたしはもっと昔のことを思い出したのだった。
もっと更に若い頃、仕事などまばらだった。
一応それでも朝には起き出し、デスクに向かった。
しかし、やることがないとこれはもう眠くて仕方なく、この辛さには悲しみが伴った。
朝、起きるのは辛いかもしれないが、朝、起きていられないのはもっと辛いことなのだった。
やることがないとすぐに眠気が意識にまとわりついて、朝なのにまた眠りへと引きずり込まれていく。
この不毛は耐え難い。
だから、やることがあるということは、精神にとって救いも同然と言っていいだろう。
起きるという一瞬の難所をさえくぐり抜ければ、次第に活性が高まって意識に覚醒が訪れる。
この気分こそ生きる醍醐味と言え、それがあってこそ生まれてきた甲斐もあるというものである。
眠りと寝起きの境界線上においては、生きる実感が所在不明となっている。
だから何も考えずさっさと起き上がって、すべきことに着手する。
それがいちばん正しい朝の迎え方ということになるだろう。