ヘルシンキからマドリッドへと向かうため飛行機に乗り込んだ。
搭乗の際、荷物を棚に載せる仕方が雑だと家内から注意を受けた。
ヘルシンキで買った大事な品が入っているのに、わたしは後続の客の邪魔にならぬよう慌ててしまったのだった。
それで素直に謝ればいいものを、わたしはついうっかり言い返してしまった。
男子諸君、これは絶対に肝に銘じておかねばならない。
主君への口答えなど反旗をひるがえすようなもの。
ただでは済まされない。
強めの口調の風下にしばらく置かれることになった。
そしてこれは万国共通。
内容は分からずとも、男性ならいわば誰もが同じ釜の飯を食った仲。
気持ちは伝わっているようだった。
周囲の男性らがそれとなくわたしに共感を寄せている。
わたしにはそれが分かった。
わたしは劣勢に置かれていたが、多勢に無勢という逆説的な状況がそこに生まれていたのだった。
と、そのとき。
窓際に座る年若い青年が、唐突に口ずさみ始めた。
iPhoneに表示される歌詞に目を落とながら、ついついといった自然な感じで、彼は柔らかな歌声を発し始め、それで空気が一変した。
家内の意識は一気にそちらに引き寄せられた。
みるみるうち、家内は普段どおりの明るさと優しさを取り戻していた。
で、そうなると話しかけない家内ではなかった。
機内のおやつにしようと関空で買ってあった「じゃがポックル」を家内は彼に差し出した。
それを皮切りに、目的地までの4時間、そして空港で別れるまでわたしたちはそのラトビアの青年と楽しく会話し続けることになった。
彼が言うには、いつでもどこでも誰とでも積極的にコミュニケーションをとるよう心がけているとのことだった。
その方が楽しいし、勉強になる、との彼の考えに、それは絶対的に正しいとわたしは賛意を示したが、家内がいないとわたしには実践のできない理想論であるのも確かなことだった。
家内の流儀を引き継ぐ息子たちは、世界へと出てこんな風に友だちを作るのだろう。
そんなことを思いながら移動の時間を楽しんだ。
別れ際、家内は彼と連絡先を交換していたからこの先も交流は続き、それがきっかけでいつか息子が彼と会うようなことがあるかもしれない。
そう思うとやはりうちの女房のリキは凄まじく、敵に回すことなどあってはならないとわたしは再認識させられた。