朝、ホテル前からタクシーに乗ってグエル公園を訪れた。
ツアーの待ち合わせ場所はチケット売り場前ですでに大勢の人がオープン前から集まっていた。
英語担当のガイドに率いられ園内をついて歩いた。
ツアーが解散となった後、周辺をしばらくぶらついてから通りかかったタクシーに乗って、ロエベと行き先を伝えるが今日は休みだという。
それでこの日がメーデーで祝日だと知った。
では、とサグラダ・ファミリアへと向かってもらいトイレ休憩がてらカフェの席を確保し、ついでに昼食をとった。
隣席はオランダからやってきた夫婦だった。
前日の日中までずっと雨だったとのことで、この日の快晴をことのほか喜んでいた。
そんな観光名所の賑々しく晴れやかな雰囲気をたっぷり味わって、午後2時前、ツアーの待ち合わせ場所である地元の旅行会社へと移動した。
ここにもすでに各国から大勢の観光客が詰め掛けていた。
百聞は一見にしかず。
サグラダファミリアの各所を惚けたようにあちこち見上げ、宗教的パッションの顕現に畏怖と威圧をさえ覚えた。
ただもっとも印象に残ったのは展望エリアから降りる螺旋階段だった。
足を踏み外せば奈落。
命に関わるとなれば印象の強度は自ずと桁違いになるのだった。
あっという間に夕刻となってしかしこの時点で一日の予定が半分終わったに過ぎなかった。
今回の旅行に際して当初はのんびりと過ごすつもりだった。
しかしいざ訪れるとなると「せっかくだから」という気持ちを抑えがたい。
ここまで足を運んで後で後悔したくない。
そう思うから、観光について手を抜けないということになる。
つまり旅をすれば、「せっかくだから」とうちに眠る積極性が否応なく呼び覚まされるのだった。
で、こうした積極性は日本で過ごす日常においても常時携えておくべきものだろう。
せっかく生きているのだから、無為に過ごせば勿体ない。
旅を通じ、日常をも旅するようなマインドセットが精神の最上部に浮上する。
人として必要欠くべからざる積極性が取り戻せるのであるから、誰であれやはり折々、旅するべきなのだろう。