サグラダ・ファミリアを後にし、歩いて夕飯の店へと向かった。
観光客が押し寄せる人気店である。
すでに列ができていた。
受付で名前を伝え列に並んだ。
十番目くらいだから10分ほどの待機を覚悟したが、思った以上に回転が早く、5分もしないうちに席に案内された。
幸いにもカウンター席にありついた。
食材を眼前にして注文するスタイルを夢見ていたから、まさに願ったり叶ったりだった。
そしてタパスは夢想した以上の美味しさだった。
そう、これこそが旅の主目的。
わたしたちはタパスを食べるためスペインにやってきたのだった。
家内はこの食事をより充実したものにしようと隣席でひとりで食べるイタリア人女子に話しかけ、その助言を受け同じものを頼み、同じサングリアを注文した。
わたしはカウンターの向こうで腕を振るうフィリピン人青年の働きぶりに目を見張った。
いろいろな客が様々なレベルの英語で彼に話しかけ、料理を注文していく。
彼は丁寧にかつ包容力たっぷりに相手の話に笑顔で耳を傾け、言わんする内容を汲み、的確に説明を加え、注文を確定させていった。
その間もずっとあれこれ業務し、リーダーとして各スタッフへの指示も欠かさない。
わたしは彼を絶賛した。
ピッチに立つ司令塔として、ディグニティがあってリライアブル。
あなたはきっといつか素晴らしいマネージャーになるだろう。
店を出るとき、わたしも家内もそれぞれ2ユーロのコインを彼に手渡し、また来るよと言って握手した。
いったんホテルに戻ろうと、今度は地下鉄を使った。
切符の自販機の前で勝手がわからず立ち尽くしているとスペイン人のおじさんが助けてくれた。
行き先を告げるとボタン操作を全部済ませてくれた。
あとはクレジットカードを差し込んで暗証番号を押すだけだった。
朝から歩き通しだったので疲れ果てていた。
しかし、ここまで来たのだから、あと一踏ん張り。
フラメンコのショーの予約は夜9時からだった。
半時間ほどホテルで休んで、再びわたしたちは町へと踏み出した。
ホテル前のロータリーでタクシーに乗り込み、なんとか開演に間に合った。
会場に入って驚いた。
日本のご老人で席が埋め尽くされ、その図はかなりシュールなものに思えたから、店員に聞いた。
いつもこんなにたくさんの日本人がいるのか。
彼は言った。
そのとおり。
日本は歌舞伎の国だから皆、フラメンコに興味があるのだろう。
日本の老人とフラメンコというのが奇妙な取り合わせに感じられたが、それでも踊り子たちは手を抜くことなく、情念たっぷりフラメンコの何たるかを体現せんと全身を躍動させていた。
わたしはその姿に感動を覚えた。
客がどうあれ役割をしっかり果たす。
その心意気こそ、学ぶべきもの。
そしていつしかわたしのなか、阿波踊りの連が幾つも浮かんでは消えていった。
日本は阿波踊りの国であり、世界に数ある舞踏のなか阿波踊りこそが最高の様式であることは間違いない。
だからフラメンコはフラメンコ連として隊列を組んで踊る方がはるかに壮観だろう。
眼前のフラメンコが、次第に阿波踊りへと昇華され、わたしはそこにフラメンコ連を見ていた。
そのように日本流にアレンジして見れば、フラメンコも捨てたものではない。
わたしは結構感動したのだった。