KORANIKATARU

子らに語る時々日記

週の山場を前に一息つく

雨が降り続きソフトバンク戦の行方が心配されたが、夕方には断続的な小雨になった。

試合が行われると分かって二男はほっと胸をなでおろした。

 

ネット裏で今月2度目の野球観戦となる。

随行するのは学年ナンバーワン。

子らの友だちは揃いも揃って頭がいい。

 

その夜わたしはジムに立ち寄り、野球中継を見ながら軽く走った。

まるでウォーリーを探せ。

子らの姿を捉えようと画面を見据え、目も走らせ続けた。

 

予定が埋まって先へ先へと意識が向いて、急くようにして時間が過ぎる。

一つこなせば落ち着いて心の不均衡が解消されるが、課題は次々湧いて出てくる。

だから当然、月日の経過に体感が追いつかず、もう5月が終わるなど狐につままれたような思いとなる。

 

ジムではその急流が歩みを緩める。

 

走っていると過去の記憶の断片にスポットライトが当たっていく。

いろいろな像が同時並行で浮かぶので、そこに時間は存在しない。

 

野球が繰り広げられるトレッドミルのモニターとは別個、子らの小さな頃の様子が眼前のスクリーンに映し出される。

 

幼い長男が野球名鑑を手に取り本屋の椅子にじっと座って動かない。

電車に夢中になり、昆虫を追って走り回り、一方で野球にも関心があって、単に選手の顔写真がうつるだけの野球名鑑のどこが面白いのか、熱心に見入っている。

 

もちろん彼が注視するのはタイガースの選手たちである。

 

甲子園球場が近いので物心ついた頃から家内は子らを引き連れた。

たまにはわたしも引き連れた。

 

自然、長男も二男もタイガースに愛着持つようになった。

 

絵が得意で小さな頃からあれこれ絵を描き二科展で入賞したこともある、そんな二男であり、長男とは全く異なる個性の持ち主、趣味趣向に似通ったところはないが、トラキチであることだけは兄弟確固として共通している。

 

二男がヤクルトのことをヨーグルトと呼ぶ園児の頃、一緒に観戦に訪れたことがあった。

球場に向かうバスのなか、すでに気持ち高ぶっている二男の様子も目に浮かぶ。

ついこの間のこと、そんな感覚であるが思えば十年一昔も前のことである。

 

いつの間に。

そんなことばかり思いつつ時間はわたしたちの体感を待ってはくれず猶予なく過ぎ、気づけば終点間際ということになるのだろう。

 

眼前に蘇ったかわいい子らの面影を伴い、わたしは次に風呂へいく。

大画面に映し出される野球中継を見つつ湯につかる。

 

タイガースが勝てば皆がハッピーになるのに、そんな甘いものじゃないよと世の冷厳を西宮のトラは身をもって教えてくれる。

この日もそうであった。

 

次の日、わたしは兵庫の西側で仕事して夕刻、その足で大阪を過ぎ京都へと移動する。

週の山場。

ここを過ぎればほんの少し気楽になるが、どのみちまた山場が訪れる。

 

二人の息子の父である。

頑張るのが当たり前ということなのだろう。