KORANIKATARU

子らに語る時々日記

亀は万年(その2)

(3)
帰途、野田阪神の路上、おばあさんが自転車の脇でうずくまっている。
カラダの具合が悪いのかと近づくと、どうやら道端の排水溝に自転車のカギを落としてそれを探しているようだ。
排水溝はゴミで埋まっている。
カギはどこかに引っかかっているはずだ。

躊躇する。
ゴミだらけの排水溝である。
怖じ気づく。
と、そこへスーツ姿の若者が何事かと走り寄ってきた。
地味で物静か全く目立たない雰囲気の青年だ。

事情を察知した彼は何の迷いもなく手際よくゴミをひとつひとつ取りのけ、たちまちのうちにカギを探し出し拾い上げた。
危機を脱しおばあさんはほっ安堵した。
素晴らしい男性ではないか。
こういう青年こそがいい男と高く評価され女子にモテるべきだろう。

駅へ向かう。
野田のBigbeansで買った赤白2本のワインを手に電車で帰る。
風邪にはワイン、いにしえより伝わる鉄板の処方だ。
途中、甲子園口駅西宮駅の間に人が侵入したとのことで15分ほど電車が停車する。
真後ろの男性が、喉が痛い、鼻の奥が痛いと連れ合いに甘えるようにする会話が聞こえてくる。
私と全く同じ風邪の症状だ。

ワインとその他荷物がだんだんずっしり負荷の度合いを増してくる。
こんな状況でおトイレ我慢している人がいれば悲惨であろうと想像していると自分のお腹が痛くなってくる。
狼狽しそうになったとき、電車が動き始めた。
同時にお腹の痛みも消える。
助かった。

改札を出ると最近オープンした駅前の整骨院の女子スタッフがビラ配りをしている。
消耗し萎縮しきった表情だ。
改札から大勢の人が掃き出されてくるが、誰も彼もそのビラを受取ろうとしない。

彼女は巨大な拒絶の渦中にある。
彼女自身が否定され、邪険にされ、煙たがられる、そのような自己否定の念に覆われる。
もはや素の表情など保てない。

私はビラを受取らず、しかし悪いねといった風に会釈した。
ビラを受取らないにせよ、せめて、人間的な反応はしなければならない。

ビラ配りの女性はどこまで持ち堪えられるだろうか。
押し寄せる無表情や不快な表情に何とか耐えてくれ。
心をガーンと鉄の甲羅で覆うことはできるだろうか。

いまや、器量よりも学歴よりも預金残高よりも大事なもの、それが心の甲羅だと言えるかもしれない。

君たちも知っているその老資産家から数々の教えを受けた。
あるとき仰った。
事が起ったときは、面白いと一言つぶやいて状況に立ち向かう。
目を伏せるのではなく正視する。
腰が引けると攻撃も防御もできなくなる。
恐ろしい程に強い方なので、まさにその通りなのであろう。

人間には物理的な甲羅など存在しない。
その代わりに気骨と呼ばれる精神的な鎧を身に着けている。
精神一到すれば頑丈な甲羅と化して機能する。

角を曲がったところで二人の息子とばったり出くわす。
二男はキャッチボールがしたくて待ち切れず、自転車で兄を駅まで迎えに行ったのだった。
長男は私と同じ電車に乗っていたようだ。

家にあがって早速家内とワインを飲む。
前の公園で兄弟が仲良くキャッチボールしている。
兄は制服を着たままだ。
それで家内に怒られる。

私を除く家族はUSJに行くらしい。
長男は学校の友人ら8人組で。
二男は家内といとこと。

私は仕事である。
亀の歩みでのろのろ進む。
風向きよければ戦車と化す時間帯も訪れるかもしれない。