スマホから顔をあげるとそこは伊丹だった。
20時11分発、西明石行きの電車に飛び乗ったはずなので、伊丹駅に着くなどあり得ないことだった。
急ぎ下車し引き返すため向かい側のホームへと階段を駆け上がる。
気に留めることなく聞き流した車内アナウンスがよみがえる。
「本日は電車の到着が遅れましたことお詫び申し上げます」
20時11分、ホームに滑り込んできたのはひとつ前の電車だったということになる。
わたしは行き先違いの電車に乗って座席に腰掛け、20時30分に帰宅すると家内にメールしていたのだった。
向かい側のホームに降り立ち時計を見ると20時28分。
尼崎へと引き返す電車の時刻は20時38分。
もう家に着いていておかしくない時間だった。
寒風吹きすさぶ憲法記念日であり、夜、風の冷たさは増す一方。
半袖では当然に肌寒く、苦しいような時間となった。
もう食事の用意ができている。
家内からそうメールが届く。
いま伊丹、乗る電車を間違った。
そう返信すると間髪入れず「笑」の文字が返ってきた。
19時48分、鶴橋のホームから誰かが線路に飛び降り、玉造方面に向け走り出した。
その奇行の余波で、わたしは家で家内と乾杯しているはずの時間、ひとり伊丹駅ホームの暗がりに取り残されることになったのだった。
どんな事情があるにせよ、線路を走るのはよした方がいいだろう。
ようやく電車がやってきて、そこからはスムーズに事が運んだ。
尼崎での乗り換えで20時47分の西明石行きに間に合った。
あらためて気づく。
尼崎から西へと進む電車の乗客は結構身なりがいい。
ほんの少しハイソな空気も漂っている。
ドア付近、一人のおじさんがわたしの真向かいに立った。
意図せずして視線上下に交わし合い、互い比較対照するような形となった。
わたしにとっては客観的な視点が得られたようなもの。
なんとわたしは貧相な格好をしているのだろう。
カバンは十年来の使い古しであり、下は靴から上はメガネまでこれまたかなりの年季で使い古している。
同じ駅で降りるのに、彼我の差がありすぎた。
一昔前なら自身を卑下していたかもしれない。
実際、ごくごく若い頃は、身なりで惨めな気分になるのが嫌だったので着るもの持ちものにお金をかけていた。
いまは、別になんとも思わない。
そこにわたしの勝負は一切なく、誰かと較べて優越しようが劣等であろうがどうでもいい。
この清々しいような身軽感はぜひとも子らに伝えなければならないだろう。
男子の資源は有限。
狙い定める的が絞れていればいるほど、眼中外のエリアは大きくなる。
着るもの持ちものに無頓着。
そこを出処にする自尊心も全くない。
これは仕事男子にとっては良きしるしと言っていいのではないだろうか。
当初予定を30分ほど過ぎ21時ちょうどには家に帰還。
そのままワインで乾杯し、ようやくのこと団欒の時間を迎えることができた。