KORANIKATARU

子らに語る時々日記

第二の故郷


月曜日、またしても暑さを侮ってしまった。
天王寺駅から阿倍野区役所まで歩き、そしてそこから保健所を経て天王寺駅へ戻った。
シャツが変色したのかと思うほどに汗だくとなった。

次のアポへ向かう気力が失せる。
水風呂に浸かってちゃぷちゃぷと無思考の安楽へと沈みたい。

ぐっとこらえて鶴橋へ向かうがそこも暑く、暑いだけでなく肉を焼く煙が濛々立ちこめ、近鉄とJRをつなぐガード下の連絡路のほの暗さは21世紀となっても相変わらずプリミティブな不気味さをたっぷりたたえ、怪奇な現象が頻発していた遠い時代へと地続きでつながっているかのようである。
高架上を近鉄電車が走り、闇に断続的な光が差す。
意識の縁がかすんで異境へと彷徨い始める。

待ち人が現れた。
すんでのところで我に返り書類を受けとる。
駅へと駆け上がり環状線で北上する。

鶴橋を抜けようが所構わずますます暑く、やはりというべきか京橋も天満も都島も暑かった。


客先で大阪市の新しい区割り案について耳にした。
さっきまで歩いた阿倍野界隈は広範囲に統合され最も古くからある名をとって西成区となるらしい。
もしそうなれば帝塚山や北畠といった高級イメージが牽引し西成という独特の響きもまるで別人というほどに変容してゆくのだろうか。

京橋や都島や天満あたりも北区として括られるというのであるから、これはもう大きなクラス替えみたいなものだというしかない。

大阪市の名だたる強面24人衆がたったの5つか6つに集約されることになる。

大阪市の各区の名称は単なる地域名には留まらず、人格さえ彷彿とさせるほどにべっとりぎとぎとに染み込んだ意味を有している。
鶴見区ではなく鶴見君であり、此花区ではなく此花君なのである。

全国大会があれば悠々勝ち上がり、尼崎や東大阪らが必ずそうであるように決勝トーナメントに残って当然と言う猛者たちである。

彼らを始末したからといって、経済をはじめとして落ち目にも程があるではないかという惨状の大阪が立ち直るとはとても思えない。
素っ頓狂で的外れなことをここまで大真面目にやりはじめるなんて、断末魔だ。

更に寂しく静まり返った貧血気味の大阪像がうっすらと浮かぶ。


お盆週間初日の土曜日明け方、旅行に出かける家族連れをホームで見かける。
小学校低学年くらいの男の子が、一体何の記念になるというのだろうか、尼崎の駅名標を嬉々として撮影している。

幸福そうな家族の様子、特に男の子らが旅程に胸膨らませる様子が伝わってきて、こちらまでおすそ分けにあずかったかのようなウキウキとした気分となってくる。

我が家七人衆の旅は後半にとってある。
旅は第二の故郷の探索、長く心に留まる町との出会いとなる。
山越え谷越え丘越えて、さあ、いざいかん。

数日間、書類屋としての役割から自由になれる。
日常という重力から解き放たれて、未知の土地に自らを融合させる。
全く違う自分をチラリ感知する異空間体験を前に心がはやる。

ところで、我が家七人衆の由来についても記しておこう。
うちは4人家族だが、男子3人が二人前食べるのでこれで6人、家内を合わせ、それで計7人。
つまり7人で旅行するようなものであるというところに由来し、七人衆との異名をとっているのである。


調べものしていて誰かのブログに行き当たり、その内容に感心するが、書くこと自体を躊躇うような、恥じて弁解するみたいな調子で話の腰が折れてばかりで、骨の多い魚にあたったみたいに食傷する。
曰く、ブログを書くなんて自己顕示であることは重々承知していて、他者の承認求めるさもしさ丸出しであり、だからいちいち書くことは恥ずべきことなのだが、思考の整理に役立つという点では自己満足ではあるけれど捨て難く、、、といった逡巡が頻繁に顔を出し折角の内容を自ら毀損している。

まるで生まれてすいませんと見ず知らずの他人に詫びて歩いているみたいであり、他人からみれば一体何を薮から棒に頭を下げているのだと奇異に映るだけである。
そんな暗黙の事柄についていちいち気が咎めていたら話が前に進まないではないか。

思う存分、饒舌なくらいに書けばいいのではないだろうか。
ネットであればうるさくともなんともない。
不要なら素通りするまでであり、いいこと書いてあればめっけものと、誰かの役に立つこともあるのである。

現在地点の誰かにとって有用となりうる場合もあるのだし、何であれ情報はどしどし発して表沙汰とするべきだろう。

デジタルに言語を駆使する段階に至ったサルたちが情報発することに何らか喜び見出すのであれば、それこそが進化の方向性を含意していると素直に考えればいいのではないだろうか。


夏休みももう半ばなのに、忙し過ぎてまだ子らを本屋に連れていけていない。

本は、買うべきであると常々議長には進言している。
何に関しても合理的で生活の天才とも言える家内からすれば、本など読んだ後はかさばるだけ、ならお金出して買うまでもなく図書館で借りればいいし、図書館になければ古本屋をあたればいい、となる。

頭ではその理屈は理解できるがブック・ラバーとしてはとても受け入れられない。

希少品であるならともかく見ず知らず誰かの手垢ついた本よりは、一生の付き合いだと自らの手で読み込んだ本にこそ愛着が残る。

かつて祖父が所蔵していた和綴じの書物は跡形もなくその価値を理解しない祖母に処分されてしまった。
その知識をもって一目置かれていた祖父の尊厳が軽く一蹴されたようなものである。

それら書物の輪郭だけが私の記憶の底にかすか眠るだけであり、手に取りそこに記述された何かを読むことはもうできない。


子らの従兄弟が遊びに来て泊まるという。

怖い話をしてあげようと予告編としていくつかの場面について取り上げ、どの話から聞きたいかと問うたところ、少年は耳を塞ぎ、家に帰ると腹を決め、そして本当に帰ってしまった。

うちの子らが小さかった頃は怖い話ばかりよく話して聞かせた。
私も震え上がるような怖い話を親に散々聞かされた。

子に話す怖い話というのは場面が決まっている。
窓、階段、川、踏切、、、
よほどの注意が必要となる危険と隣り合わせの場所ばかりである。

階段では後ろから背を押すおばあさんのお化けが後ろに立ち、川には意地悪な河童が潜み、窓の向こうには遊ぼうよこっちおいでと誘うエッちゃんがいて、誘いに乗れば二度と帰ってこられなくなり、踏切にはすすり泣く女の子がいて近づくと遮断機が下りて列車が近づく、見るとその女の子は薄気味悪く笑っている、、、

どこにでも潜む不意の何かに対処する心構えを、子らには教える必要がある。
それらを涵養する上で怖い話が一番手っ取り早く効果的となる。

怖い話は実用的なのである。

あっエッちゃんが見えたと怖いながらもノリノリになって窓の外を指差す子もいれば、絶対的にそのようなイメージを拒絶する子もいる。

耳塞ぐ子は怖い話が既に不要なほど鋭敏な感性を備えている。
そんな男の子に怖い話するなんて、私自身がお化けと化していた。
ごめんやで、と謝っておこう。