混雑を避けるため、やや人目につきにくい一角を待ち合わせ場所と決めていた。
子を迎えるため早めに仕事を切り上げ、駅と建物をつなぐアプローチを進む。
植木が繁る場を右に折れた。
既に先客があった。
当の一角のさらに奥まったところに男女がいていちゃついている。
私が現れ、男子の手が止まり女子の吐息が潜まった。
高校生のように見える。
バツが悪いとはこういうことを言う。
男子は続けたく女子は続けられたい。
おそらくそうであるに違いない。
しかし私がそこに現れたために思いが叶わない。
二人を染めた熱いほどの赤みが急速に色を失っていく。
私は野暮を絵に描いたような存在となっていた。
そのとき私の頭に、誰かさんと誰かさんが麦畑、のメロディが浮かんだ。
ダメよダメダメ、ではなかった。
誰かさんと誰かさんがいいじゃないか、と密か口ずさみ二人に背を向け私はそこを離れた。
二階のアプローチを駅の方に取って返し、ロータリーの真上から降車客の様子を眺める。
駅から掃き出された人波が、バス停に向かい、自転車置場に向かい、はたまたロータリーで待つ家族のクルマに向かう。
もとを辿れば麦畑。
みんな麦畑からやってきた。
目を上げれば、白み帯びた薄雲が夜の漆黒を優しく撫でるみたいに山の稜線を覆い、
山すそでは、家々に灯が点りはじめる。
巨大な麦畑に秋の微風が吹き渡る。
着信があった。
さっきの麦畑を右手に目もやらず通り過ぎ、子のもとへ向かった。
追記
2014.10.20付毎日新聞余録によれば、
99年には100人に1人、08年には50人に1人、12年には27人に1人が体外受精で生まれた子どもだそうである。皆が皆、「麦畑」ではないと上記の記載に注釈加える必要がありそうだ。