KORANIKATARU

子らに語る時々日記

何かひとつ楽しければそれで十分

大型連休は嬉しいけれど終わると少し物悲しく、本調子となるまでに数日を要してその間、何とも歯がゆいような地に足付かない浮遊感に苛まれることになる。

もちろん、日常に戻って仕事はするのだが、酩酊伴うような浮いた感じ、決して心地いいようなものではない頼りないような時間のなかをじれったく滞空しなければならない。

以前、仕事血流について書いたことでもあるけれど、仕事の重力にどっぷり浸かる日々から解き放たれるのは、考えようによっては危険なことである。

「もう戻れない」となる人もきっとあるに違いない。
惰性で、そのままの慣性の力に従って日々を繋いできたけれど、いったん途切れれば、それを再現するよう自らを駆動させる余力などどこにもないと気づいてしまう。

連休で充電やらリフレッシュとなるのはよほど恵まれた仕事のマッチングにありついた人であり、たいていは、連休は適性の「ふるい」のように作用し、幾人かは再起できず精神的にこぼれ落ちていく。

私のような自由業であってさえ、微かそのような思いを味わうのであるから、より強めに管理されるような立場であれば、これはもう塞ぎこむようなものなのかもしれない。

私自身、そのような塞ぎこむような寂寥については知悉しているつもりである。
被雇用者の立場には、とてもではないが戻れない。
どれだけ先行きが不透明であろうが、誰かの顔色うかがって日々過ごすより、最後には見捨てられるかもしれないにせよ自営の者として放り出されたままの方が清々しい。

ガツガツすることなく、身丈に合った程度の負荷のもと、ぼちぼちと暮らせればそれが最上。
そこに一日に何かひとつでも、アクセントとなるような楽しみがあれば言うことなしである。

昨日と今日が全く同じ、何一つ代わり映えのしない一日であれば、ぼちぼち過ごせたとしても、砂を噛むように味気ない。

少しはディティールがある毎日。
せめて日記に書き留めたいと思える程度の、今日の特筆、は毎日探したいものである。

食事でも、風呂でも、映画でも、読書でも、酒盛りでも、何だっていい。

今朝も晴天。
眩しいような青空が広がっている。

さて、今日の特筆は何であろうか。

今夕、二男をピックアップし、西大和に向かう。
長男の学校でイベントがあるのだ。

飽きることのない、話題尽きない、とっても面白い学校である。

さて、さて、どのような一日となることであろうか。
今日も楽しく過ごせそうな予感がビシバシ身中を駆け巡る。

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