KORANIKATARU

子らに語る時々日記

飛沫がもとの水の流れに還るように


自転車事故による死傷者率ランキングの上位を兵庫県勢が占めている。

7位に加古川、6位に姫路。
3位に尼崎、そして2位に伊丹。

全国ベストテンに、4市がランクインしている。

大阪市が8位なので、淀川の両岸を行ったり来たりクルマを運転する者は、自転車事故頻発地域、まるで地雷原を走っているようなものと言えるだろう。

道路交通法が改正され自転車運転への罰則が強化されたが、いまだその意義は浸透していないようだ。
クルマで走ればまだあちこちで、「ながらチャリ」を見かける。

友達と喋りながら並走し、または、音楽聴きながら、なかには、メール打ちながら、チャリンコを漕ぐ。

そしておそらくは保険などにも入っていない。
ルールを守っていない自転車が法律的に救済されるとは考え難い。
判例で示された損害賠償額は高額だ。
先日は9,500万円の支払いを命じる判決まで出された。

リスクの度合いに赤色がついて可視となるなら、この界隈は、真っ赤っ赤、ということになるだろう。

ちょうど時宜を得て、ブレイス法律事務所の渡邉直貴弁護士が、自転車事故と保険加入の意義について、セミナーなどを開催し始めるようだ。

社会の動きに連動し、素早く動く。
なんとエネルギッシュで頼もしい弁護士であろう。


46億年前、誕生したばかりの地球は荒れ狂う熱の塊であった。
飛来し続ける隕石に含まれていた酸素原子や水素原子が地上で弾けて上空に吹き上げられ、原始の地球は、厚い雲に覆われるみたいに大気の素に包まれた。

太陽の光を遮られ、徐々に地上の熱が収まっていく。
そして、37億年前、冷えた大気の素が一挙に雨となった。

太古の雨は、滝のように何年も降り続いた。
想像を越えるような弩級の豪雨であったことだろう。

当時降った雨が、水の起源となった。
まさに恵みの雨。

そのとき地上に振り注がれた雨が、水蒸気となり雲となりまた雨となって循環し続けている。
水の総量は、37億年経った今も同じままである。


級友の死に触れて、きょう君が言った。
「僕が死んだときは、近親者のみの、通夜と形式的な簡素な葬式で済ませて欲しい。残された人たちのために、なんらかの儀式は必要だろうから、友人、恩師、先輩後輩、仕事関係の人たち、教え子たち、みんなで飲み屋貸切でお別れの会してくれたらええかな。墓は要らない。骨は海にまいてくれたらそれで良い。あの世も前世も天国も地獄も生まれ変わりも無いと、一度死にかけてから確信しているので」

そのような話を聞いて、水の起源のことが浮かんだのであった。

人を一人一人個別に括った捉え方は実は本質を見誤るようなものなのかもしれない。

水のように実は「人という物質」は接続していて、たまたま水に波形や飛沫があるように、そのようなたまさかの一断片が、個というような認識のされ方をしているだけなのではないだろうか。

ある波形や飛沫となったとき、意識のようなものがどのような訳でか発生し、実は、これは一瞬の現象に過ぎず、波形や飛沫が元の区分のない水に還っていくのと同様、やがては均され意識も消えていく。

だから、海にまいてくれ、というのは、最も本質を捉えた生の帰着だと言えるのではないか、そのような気がしてくる。


帰宅すると、家内と二男はプールに出かけていて留守であった。
本でも読もうと三階洋間に行くと先客があった。

長男が冷房をがんがんに効かせて、眠っている。
少し離れたところに陣取って本を読み始めると、長男が目を覚ます。
そして、私の横に寝そべった。

壁ドン、で女子はときめくと言うが、横に寝そべることに敵いはしない。

暑いな、という世間話から始まり、学校の話となり、生物や化学の話となる。
天井を向いて、二人並んで寝そべり、あれやこれや話し、夕刻の時間が平穏に過ぎていく。

まもなく、残り二人が帰ってきた。
今夜はいただき物の肉でするスキヤキ。

リビングに降り、四人で卓を囲む。

やがてはいつか皆、一人残らず、水へと還る。
そう思えば、このような瞬間が愛おしく、書き留めずにはおられない。
文字だけは残るに違いない、日記は「在る」ことに執着する悪あがきのようなものなのかもしれない。

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