KORANIKATARU

子らに語る時々日記

その写真は必ず目にしておくべきだろう


エーゲ海に面するトルコ海岸に男児の遺体が漂着した。
大々的に報じられたニュースであるので、ネットで検索すればすぐにその写真を目にすることができる。

絶句する他ない。
嘆息しか出てこない。

波打ち際に打ち上げられたその亡骸はうつ伏せで、あまりに小さい。
3歳だという。
可愛い盛りの男の子であっただろう。

家族とともにシリアを逃れトルコ経由でギリシャへ向かう途中、ボートが転覆した。
浜辺には男児の母と5歳の兄を含め11人が打ち上げられていた。

難民を乗せたボートが転覆するという事故が相次ぎ死者が絶えない。
ヨーロッパまであと一歩のところ地中海が関門となって横たわっている。

この写真を見ることなしに、そこで起こっていることについて何かを感じることは難しい。
人として必ず目にしておくべき写真であろう。

シリア情勢と検索すれば、酷たらしい写真が数多く画面に現れる。

内戦は泥沼状態で長期化する様相だ。
アサド政権と反政府組織、そこにISまで加わって内乱が続く。
政権が民間人を虐殺し、勢力を拡大し始めたISもそこで民間人を処刑し続けている。

人口の半分にあたる800万人が避難民または難民化し国外に助けを求め故郷を離れた。
しかし国際的な支援は足らず、そのうちの9割ほどは周辺国で過酷で劣悪な生活を余儀なくされている。
ヨーロッパにまで到達できたのは数パーセンに過ぎない。

多くはシリアの社会を担ってきた中産階級、高学歴層であるという。
医師であり弁護士でありといった職能者らが行き場を失い路頭に迷うという事態に直面している。

他人事と切って捨てていいことではないだろう。
内戦には手のうちようがなくとも、遠くからささやであっても支援するための何かはできるはずである。


「明日へのチケット」という映画があった。
世界名だたる三人の映画の名匠がバトンリレーするように織り上げた名作である。

ローマに向かう列車が舞台だ。

出だしの話は、老教授の胸をよぎる恋慕の夢想。
男というやつはいつまでたってもこうなのだといったその内面世界が哀感たっぷりしかしとても温かいタッチで描かれる。

引き続いては、中年というよりは老境に差し掛かろうという婦人に焦点が当たる。
夫を亡くし、もう自身も若くない。
若さから遠く隔てられ、醜悪で無力な立場へと押し流されていく。
苛立ちは増しガミガミとした言葉づかいはエスカレートしていくが、やがては、ぽつねんとした寂寥に訪れられる。

そしてそれらの話の最後に、ケン・ローチが監督する移民の話へと場面が引き継がれていく。

サッカー観戦のためローマに向かうスコットランド人の若者三人と、車内乗り合わせたアルバニア人の少年との間で一悶着が起こる。
若者らのチケットが一枚なくなり、彼らはその少年の仕業に違いないと踏んで直接掛け合う。

スコットランドの若者三人は性根はいいが少し粗雑で気性が荒い。
少年はしらばっくれるが、彼らは引き下がらない。

エスカレートするやりとりのなか、その少年の家族一行が密航者でありローマにいる父のもとに向かっていること、なぜチケットがあと一枚必要なのかも含めて彼らは知ることになる。
チケットを持たないリスクは密航者にとって致命的なことであった。

若者らは、アルバニア人の家族が置かれた状況を理解した。

粗野で粗忽な彼らが最後に見せた振る舞いが実に爽やかで、アルバニア人家族のローマ駅での再会のシーンと重なって、観る者は感極まって心のなか何かが響き渡るような余韻に浸ることになる。

誰かの明日のために、私たちにもできることはいくらでもあるだろう。

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