1
西城秀樹と結婚するのだと長屋の娘は大声で叫んだ。
ヒデキと結婚しもっと大きな家に住む。
今の不遇はすべて母のせいだと言わんばかり娘は母を痛罵する。
しかし、母も負けない。
ドブスに嫁の貰い手がある訳ない。
それで火がつき熱風吹き荒れんばかりの激闘となっていく。
私が小学生の頃の話である。
小学校対抗のソフトボール大会が近づき、メンバーで集まって毎朝練習をしていた。
タツオの家に迎えに行くと朝っぱらから決まって彼の姉が母と怒鳴り合っていた。
登場人物は姉と母そして西城秀樹。
寒さ募る早朝、手をこすり合わせるようにしてタツオを待ちながらその応酬を皆で聞くともなし耳にしていた。
今も忘れることがない。
タツオの家は下町の路地を入った長屋にあった。
子ども時分だったのでそれは家に見えたが、いま見ればあまりに小さなその間口に言葉を失う。
私の肩幅2つ分、まさにそのような、つまりは充てがわれたスペースというようなものであり、家といった概念とは区分が異なると言うしかない。
2
タツオの姉はドブスどころか地元中学でも評判の器量よしだった。
長じて後、きっと彼女は、彼女なりの西城秀樹と出会えたことだろう。
そして、当時の長屋よりは大きな家に住んでいるに違いない。
しかし想像してみる。
所変われど気性は変わらぬ。
「ヒデキ」と出会え、家も実現した。
犬猿の仲であった母とも和解し、祝福を受けたことだろう。
当初は夢見心地。
だが、夢は実現した途端、日常に侵蝕されていく。
待望したそれらの輝きは日常のモノトーンにくすみ、今では単なる景色のひとつ、それを望んだのだというありありとした当初の熱情は記憶の彼方へと消え去ってしまう。
そして彼女にとっての日常とは言わずもがな、あの下町長屋での、罵り合い。
あれだけの「発声」を常としてきた人間がおしとやかに暮らせていけるはずがない。
ああ、「ヒデキ」。
おそらくは、いや、十中八九間違いなく、いま罵声の対象は「ヒデキ」になっている。
下町長屋のあの再現テープが、いま登場人物を若干変えて、どこかの街角の一隅で流れ続けているのだろう。
通りかかってその雷鳴に耳をすませば、「おまえそれでもヒデキか」と聞こえるのかもしれない。
3
昨日、訪問先の会社の応接室で面談の時間を待っていた。
会議室から頭下げて元気よく出てくる人があって、目をやると知人であった。
数年ぶりの再会だ。
少し話しましょうと言われたので、私の用事が済む間、本町通りのドトールで待ってもらうことにした。
数年前に転職の挨拶を受けて以来、一切音沙汰がなかった。
芳しい様子ではないのだろうとこちらからも連絡はしなかった。
近況を聞くと、胃を患って入退院があって仕事も二転三転、ようやく最近になって営業の委託業務を請け負って再始動したのだという。
引き合いが結構あって、てんてこ舞いだと彼は言う。
景気は良さそうだ。
しかし、彼の表情には合間合間疲労感のようなものが漂い、溌剌と見せる笑顔もその場しのぎのように見えた。
もしかしたら、成果はそれほど上がっていないのかもしれなかった。
今が踏ん張りどころだろう。
話を聞いた印象では必ず上向くように思える。
刑事コロンボがカミさんの話題に必ず触れるように、彼もまた奥さんの話をネタにする。
他人からすれば、その恐妻ぶりが面白く結構笑える。
かつてヤクザに追われて切羽詰まった思いをした彼であるが、その彼曰く、ヤクザにはまだ道理がある。
彼の奥さんについては、アネさんとでも言った方がいいのだろうか。
アネさんの機嫌は四六時中悪く、彼にとってマイホームは針のむしろ。
家に帰るとき、めまいがして耳鳴りがする、と冗談っぽく彼は笑ったが、本当のことであろうと私には分かった。
家に一歩近づくにつれ、地面が揺れ視界が歪む。
異界に属するようなノイズが強弱変えながら割れるみたいに耳のなかで猛り狂う。
4
彼と再会しその奥方について想像するうち、私はタツオの姉のことを思い出したのであった。
タツオの姉がゲットした「ヒデキ」が、彼であってもおかしくはない。
寒風が空気を切り裂くよりも鋭く鳴り渡ったあの罵声が、はるか遠くからいまにも間近に迫るくらいの足音響かせ襲い掛かってくる。
戦慄だ。
仕事が空転し病気になっても不思議はない。
彼はいまあの長屋の檻に入れられたも同然。
映画「わたしを離さないで」については以前書いたが、人は運命を従容と受け入れる。
彼は運命に捧げられ、その残酷な定めをまるで務めを果たすかのように決められたとおりなぞっていく。
5
家族のための寿司桶をかつぎ、子らのみやげにマンガ「フラジャイル」を3巻まで買う。
クルマを走らせ、帰途につく。
家に向かいつつ、彼の気持ちを想像してみる。
ある朝のことを思い出す。
出かけるときにあれほど沈鬱になったことはなかった。
遡ること二十有余年。
これから大学の研究室に向かうという朝のこと。
玄関先で靴を履くが憂いはますます大きくなっていくばかり。
その日の発表の準備はボロボロで皆の前で教員にカスミソ・ボロカス、罵声浴びせられることは避けられそうになかった。
その状況をどう堪えればいいのか。
青く無能な若者に策は見いだせずもちろん策がないのだから代替策がある訳もなく、つまりは全くの無策で、爆撃機のもと身を晒さなければならない。
今であれば、主導権は向こうにあるのだとカラダの余計な力を抜き、相手の表情や言葉づかいを注視し観察に徹し、為されるがままあろうと腹を決めることができる。
無策なのであるから、謝って反省の色を示し言われるまま為されるまま素直頷き、あとはその状況から学ぶだけのことである。
これを「吠えられる勇気」という。
切り抜けようとスケベ心を出すから、辛くなる。
当時の若気の私は開き直ることもできず気を重くし身を固くし、大学に向かった。
初夏の新宿戸山公園の緑は色鮮やかで、どす黒く淀んだ私の内面とはあまりに対照的だった。
しかし、私についてはその程度。
彼においては、初夏の緑に目を留める余裕すらないのであろう。
ああどうか、彼が「ヒデキ」なんかではないのだと、更に言えば、世の中思い通りにはならず誰かが悪いと責めたところで詮無いことなのだとアネさんが気づく日が来ますように。
そうなれば嵐は治まり、彼の心の緑が微風にそよぐ時も訪れるであろう。