KORANIKATARU

子らに語る時々日記

秋の夜長、子を持つ親なら必ず一読したい本


金曜夜、予定は何もない。
43号線から道意線を経由し臨港線を西へ進む。
ららぽーと甲子園にクルマを停める。
あたりはすっかり暗くなっている。

クルマを降り金木犀の香りを一呼吸二呼吸、胸深く吸って味わう。
秋の夕暮れ、頬と半袖の腕に感じる冷気が心地いい。

イトーヨーカドーのフロアは夕飯の買い物客で混雑し始めていた。
小樽と沖縄の地ビールをすばやく選び急ぎ足でレジに向かう。
が、もはや空いた列はなかった。
ビール2本を素手に持ち主婦らの行列の後ろに並ぶ。

せっかく来たついで、今夜は読書でもして過ごそうと2階にある旭屋書店をのぞく。
酒井穣さんの新著「21世紀の生き方」が平積みしてあった。
表紙に「ビジネスパーソンの父が子どもたちに伝えたい」と副題が記されている。

迷わず手にとる。
酒井さんの著作については「はじめての課長の教科書」を皮切りにほぼすべて購入している。
「ご機嫌な職場」はもちろんのこと、「リーダーシップでいちばん大切なこと」に至っては2011年3月20日の第1刷だけでなく同年4月30日の第2刷も我が家の本棚に並ぶ。
読了したにも関わらず再度買ってしまうということは40歳を過ぎるとままある現象であるらしい。


夕食を待つ間、ソファに寝転びページを繰る。
リビングの向こう側、食卓で二男が試験勉強に勤しんでいる。
明日が中間試験の最終日となる。
家内は更に向こうで食事の支度に忙しい。

ウェルカムデーの日に28期辻本先輩が校門脇で語った言葉を思い出す。
学校はちょうど試験の真っ最中、下校する後輩らに目を細めながら辻本先輩は言った。

私たちも試験のときはよく頑張った。
勉強が終わらず徹夜することもよくあった。
この経験がいまも活きている。
大人になった今、たいていのことを苦もなくこなせるのは試験で鍛えられたからこそだと思う。

そして、こう付け加え笑った。
土曜に徹夜し日曜は昼過ぎまで寝ていたから、なんのこっちゃやけどね。

辻本先輩の言わんとすることは我々も体感することである。
課題を前にしたとき、その間合いをはかる呼吸感というものが身体化されている。
試験という訓練によって備わった負荷耐性は我々にとって財産のようなものだろう。


試験が今日終わったばかりの長男は西宮北口へ勉強に出かけた。
家内が遠くキッチンから言う。
せっかく近いのだから二男も通わせよう。
家内の声が二男の頭上を駆けていく。

比較すべきものではないだろうが、長男の学校の指導はたいへんにきめ細かく勉強が小刻み着実に積み上げられていく。
学力伸張という点においてなるほどさすがと感心させられることが多い。

特に英語への力の入れようは際立っている。
まだ中3だがすでに高校卒業程度に達している。
音楽の授業が英語で行われるからだろう、振り返れば中1時点ですでに英語の歌を4,5曲マスターし風呂でもトイレでも熱唱するようになっていた。

よほど勉強が不得手でない限りこの学校に混ざれば嬉し楽しく学力が身についていくであろうと思われる。
親は安心して任せていられる。

この熱の入れようについては、他の学校ではどこであれ到底真似できるようなものではないだろう。
先生らに頭が下がる。


久々、一呼吸も置かない熱中の読書となった。
さすがにこの著者。

丁寧で分かり易い筆致は相変わらず、深い考察を経て紡がれる言葉にも磨きがかかって随所に強い感銘を覚える。
筋道立ったスマートな叙述の端々にハートの熱さも垣間見え、著者への好感は増すばかりとなる。

著者がかつて物した「君を成長させる言葉」を彷彿とさせるかのよう、印象深い名文句が隠し味みたいに各所に散りばめられている。
論述を追って知識見識に触れられるだけでなく、読む喜びも味わえる。

夜中まで読みふけることとなった。


子育てを論ずるにあたり、著者は序盤において人類史を振り返る。

「ヒトは教育がなければサルと異ならない」と著者は言い、ファーガソンが文明の根幹として6つのアプリを挙げるみたいに、サルがヒトとなっていくプロセスを追いながら教育が果たすべき5つの必須要素を抽出する。

意外性ある導入が、なるほどという出だしとなり論が展開されていく。
この序盤でもはや本書は読み終えるまで手放せない。

引き続き、時代の現況を著者は概観していく。
急激な情報化の進展によりこの先数十年は大変動を余儀なくされる。
グレート・リセットの時代だ。

いつ終わるとも知れないこの過渡期は、子だけでなく親にとっても過酷なものであるだろう。
時代が次なる着地点に至るまでの激動が社会の二極化を更に加速させていく。

また、グレート・リセットの流れのなか、日本において学力観は変化せざるを得ない。

学習の到達度を不問としてきた従来の履修主義が意味を為さなくなっていく。
学んだことをどれだけ血肉化しているのかという修得主義的な学力観を根付かせなければグローバル・スタンダードに対応などできるはずがない。


読み進むうち、日本の子どもたちが直面する冷厳な現実と待ったなしの問題点が明らかとなってくる。

著者は言う。
自分が育てられたように子どもを育ててしまうことには問題がある。
学校にできることは限られている。
基本的には親の責任となる。

では、どうするか。
ここからが著者の真骨頂。

最終章となる「本当の自分として生きるために」は感動的だ。
一人の人間として、自らの襟を但し足元を見つめ直そうと真摯に思えた。

子に接する上でまずはそこから。
素直にそう思える。

まさに秋の夜長、たいへん学び多い読書となった。

子を持つ親なら必読。
本書のなか「英語習得のリスク」や「国語能力獲得の絶対的な重要性」、「ひとりでいられる能力」について書かれた挿話も示唆に富む。
流し読みでは済まされない本である。

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