1
午後6時過ぎ、やってきた電車は混んでいた。
つり革には辿りつけない。
ドアを対面にして立つ。
人は熱を発し蒸気を吐き出す。
車内は蒸していた。
空調は機能していないようであった。
額に汗が浮かぶのが分かる。
サウナに入ったばかりなので発汗は引き続き活発だ。
サウナと異なるのは電車では汗が不快であること。
次の駅に到着するのが待ち遠しい。
じれったい。
ドアが開くとさわやかな涼風が吹き込んできた。
髪をサラサラその風になびかせ下車し、電車を見送った。
何もわざわざこんな混んだ電車に乗ることはない。
貴重な夕刻の憩いの時間。
それを台無しにしてまで先を急ぐ用事はない。
ものの数分で次の電車がホームに入ってきた。
ガラガラである。
電車の混雑度は均等ではない。
一本やり過ごすだけで状況がずいぶん変わる場合も少なくない。
今回も私の勘が示唆したとおりであった。
先を急ぐことがいつも正しい訳ではない。
一本待てば海路の日和。
「次っ行ってみよう〜」、いかりや長介は朗々と言った。
人生を熟知した者の達観、まさに至言と言えるだろう。
だめだこりゃ、となれば次に行く。
ドリフはわたしたちに大事なことを教えてくれた。
2
夕飯は南アジア風のエキゾチックカレー。
長男はやっほと言いながらナンにぱくつく。
試験休みに入った二男は一足先に食事を済ませていた。
二男の試験休みが長い。
クリスマス会までの一週間、午前中に補習はあるが正規の授業はない。
補習を受けず部活をしないのであればまるまる休みということになる。
長男の学校とは対照的だ。
あれやこれやと盛り沢山で時間はいくらあっても足りず空白の時間とは無縁の学校。
一方は、ピン札の束のようにまっさら空白の時間を気前よく差し出してくれる学校。
しかしまだまだその使い道について子に任せる訳にはいかない。
補習には当然参加させた上でプラスアルファ何らかのサジェスチョンが不可欠となる。
結局は親が関与誘導し無為とならぬ程度に余白を埋めることになる。
3
進撃の巨人18巻を本屋で見かけて買ってあった。
それを二男に渡す。
その封を大急ぎで破りつつ二男が話す。
ぶらぶらしていても仕方がない、とこの日二男はガーデンズに出かけた。
ひとりで杉浦千畝を見たという。
感動したそうだ。
スープカレーを堪能しつつその姿を想像してみる。
一人スクリーンに見入る少年に映る杉浦千畝。
彼が思う以上に糧多い時間となったはずだ。
そのひとときに胚胎したものがこの先いつか彼に有意に作用していくことであろう。
映画館が近い、子育てにおいては必須の要素と言えるかもしれない。
たまには家族で映画にでも出かけよう。
そう思いつく。
週末に007スペクターはどうかと一同に提案してみた。
我ながら名案だ。
しかし呆気無く袖にされた。
長男は親友と行く約束をしており、二男もまた親友と行く。
どうやら私は家内と行くしかないようだ。
私にとっては家内が親友ということであろう。
4
二日遅れで長男の試験も終わる。
今日、友人ら5人がやってくる。
前回は8人だったが、我が家のキャパを超えていた。
今度またということで他クラスの3人については次回の機会に回ってもらう。
昼食は間違いなくカツ丼であろう。
たけふくに行くことは疑いようがない。
出前を呼べばいいとは言ったが、夕飯と朝食は家内が作るという。
来客に出前を出すなど、家内からすれば考えられないようなことなのだろう。
私はお風呂係。
金の卵に混ざって湯につかる。
若返りの週末となりそうだ。