仕事後、帰宅し映画を見る。
「黄金のアデーレ名画の帰還」。
作中のセリフで、三大絶滅収容所として名を留める施設が2つ挙がった。
ベウジェツとトレブリンカ。
残りのひとつ、ソビブルについて先日の朝日新聞で触れられていて、わたしはその3つを知ることになった。
死亡率は99.99%。
死体処理させられたユダヤ人が自らも殺されるのだと察知し暴動を起こした。
そのどさくさで若干名のみ逃げおおせることができただけであった。
ほとんどすべてはことごとく殺された。
収容所と言えばアウシュビッツが代名詞のように用いられるが、その残酷を凌駕する場所があったのである。
映画のなか、ウィーンの街は歓迎ムードでドイツ軍を迎える。
ユダヤ人は戦慄した。
ただちに国を挙げての迫害が始まった。
見慣れた近隣者が手の平を返し、先を争うようにユダヤ人の所在を通報した。
ついさっきまで平穏な日常を過ごしていた者らが、突如、路上で足蹴にされ罵倒され、そして連行された。
尊厳は踏み躙られ、家族は引き裂かれ、そして容赦なく命を奪われた。
身を置き換えて想像してみる。
家族との団欒のとき、何の挨拶もなく大挙して兵士が乗り込んでくる。
自由を奪われ、こづかれはたかれ、そして行先も分からぬところに連れて行かれる。
家族と離れ離れになる。
また会えると確信してはいるが、皆殺しにされるのだから、実はこれが見納めとなる。
永遠の別れの場面としてこれほど酷薄なものはないだろう。
現実にそのようなことが起こったのだった。
あったはずの彼らの先々の人生を思わざるをえない。
残りの何十年かを無慈悲に奪われる無念に言葉を失う。
クリムトの絵が、歴史を内包し、後世に無言で語る。
実に素晴らしい映画であったが、その影の部分はあまりに重い。