1
始発電車のホーム。
進行方向となる東の空を見上げると金星が明るく輝いている。
その下にやや控え目な光を放って木星が続く。
前座を飾る両惑星に引き続き、まもなく太陽のお出ましとなる。
小一時間もすれば地上は隈なくその光で照らされる。
土曜朝、京都行きの電車は人もまばら。
腰掛けると真向かいに手を繋いだ若い男女が座っている。
朝晩は冷え込むはずだが薄っぺらな服装だ。
男子は黒のTシャツに黒のジーンズ。
本人だけでなくTシャツもよれている。
女子は全身一面まんべんなく少し淫らで汚らしい。
スカートから放り出したように晒した足が目に障る。
二人とも眠りこけている。
三宮あたりで朝まで飲んでその帰りといったところだろう。
幕を降ろしつつある夜の浜辺に打ち寄せられた残骸二つ。
回収の便に乗せられてどこへなりと運ばれていく。
暮らしは太陽と足並み揃えた方がいい。
2
休んで支障は何もないのだが、土曜が仕事でも全く苦にならないので事務所に向かう。
誰に指図されることもなく自営業者は好き放題仕事がこなせて小休止するのも自由で気まま。
週明けのための連絡業務を午前中にはあらかた終える。
先んずれば制す。
これで来週もこころよく乗り切ることができたようなもの。
晴天の神戸で面談を終えてまだ昼前。
手付かず白紙の時間が眼前に広がる。
石屋川駅で途中下車しぶらり歩いて六甲おとめ塚温泉に立ち寄る。
大陸由来の秋晴れの青は純度高く果てしなく濃密、その空を背景に薄くたなびく雲の白を目で追いつつ温泉源泉につかってひととき過ごす。
3
南部合宿を終えた二男を夕陽丘で迎えて今夜家族は家内の実家で寝泊まりするという。
家には私一人が残される。
頻繁であれば寂しいが、たまには家族においてもオフがあってもいい。
週末プラスアルファのこの解放感も悪くない。
まだ明るい時間に事務所を後にする。
足取りは軽い。
晩酌のあてを調達しつつ帰途につく。
まずは「たこや」で刺し身の盛り合わせを買う。
マグロ、鯛、蟹身、サーモンの揃い踏み。
引き続き、「満海」をのぞく。
美味しそうな中トロの盛り合わせが並んでいる。
二盛り引き受けた。
中央市場のお膝元であるからだろう、この二店舗の魚屋は実にものがいい。
ここで魚を調達するようになってからはありきたりな店で出される刺し身には違和感を覚えるようになり、スーパーのパック売りの刺し身などとても口にできないようなものとなった。
4
今夜はひとりで刺し身デー。
キンキンに冷えたビールをグラスに注いでリビング大画面前に陣取る。
映画「縞模様のパジャマの少年」をセットし再生のボタンを押した。
以前、予告編をチラと目にして借りてあった。
少年二人を巡る友情の話であろう。
そのとき私にはその程度の認識しかなかった。
この映画が描く世界について私はまだ何も知らなかった。
世界各地を舞台にしたいろいろな映画を見る。
ここ数日でも中国の映画を見たしキルギスの映画も見た。
様々見る中、何度も巡ってくるテーマがナチスによるホロコーストだ。
あのようなことがなぜ起こったのか。
いくら検証しようとも不可解な謎が尽きない。
少なくともその事実が忘れられることがないよう、また、人類が内にはらむ悪を常に可視化し直視し続けることができるよう、この先も映画の題材となり続けることであろう。
5
主人公は少年ブルーノ。
舞台は第二次世界大戦時のドイツ。
ブルーノの父がユダヤ人収容所の所長に任命された。
赴任のため家族がベルリンから引っ越す場面を序盤として映画は始まる。
友達と離れ離れになり学校にも通えずブルーノにとって新しい家は退屈だ。
おまけに家庭教師は厳格で大好きな探検物の本を読ませてくれない。
歴史が大事だといってドイツ贔屓でかつユダヤをこき下ろすような書を読むよう促される。
時折、黒い煙が空をよぎる。
異臭もする。
少年は父に聞くが、父は「ゴミを焼いているのだろう」とだけ答える。
家には給仕がいる。
怪我をしたときブルーノの手当をしてくれた。
元は医者だったという。
ブルーノは不思議がる。
医者がなぜこんなところでポテトの皮を剥いているのか。
きっと悪いことをしたからに違いない。
その給仕はワインを注ぎ損なった際、将校に乱暴され以来姿を見せなくなった。
少年ブルーノは、目と鼻の先でユダヤ人が大量に焼かれ、ユダヤ人である給仕もすでに殺されたのだと知ることはない。
6
あるときブルーノは探検に出た。
家の裏庭を抜け山道を進むと収容所に行き当たる。
有刺鉄線の向こうに少年が座っている。
名はシュムエル。
ブルーノは話しかける。
なぜパジャマを着ているのか。
なぜ胸に番号札が付いているのか。
ブルーノは収容所の何たるかを知らない。
宣伝用のフィルムが描いたとおり、そこには、カフェがあり、人々がゲームに興じ、楽しくくつろいで過ごしている場所くらいに思っている。
その日からブルーノと収容所の少年シュムエルの交流の日々が始まった。
7
子を育てる環境として相応しくないとブルーノの親が判断し、夫だけを残し家族は再度引っ越しすることになった。
ブルーノは引っ越しの当日、シュムエルに別れを告げにいく。
シュムエルの消えた父親を一緒に探そうと約束もしていた。
その約束を果たさなければならない。
シュムエルが用意した「縦縞のパジャマ」を身につけ有刺鉄線をくぐってブルーノは収容所に潜り込む。
少年二人が連れ立って父親の姿を探し回る。
収容所のなかは宣伝用のフィルムで見た様子とは全く異なるものだった。
ブルーノは心細くなり家族のもとへ帰ろうとする。
が、しかし時すでに遅しであった。
8
まさかそのような怖気走るような結末であるとは思いも寄らず、私はひとり我が家で戦慄することになった。
あの愚かしいような歴史の悲惨については、我が身に置き換えるような感情移入がなければ到底理解し難い。
その「置き換え」が映画によって為されたようなものであった。
数えきれぬほどナチスのホロコーストについては映画を見てきたけれど、その悲惨さをここまで痛烈に感じた経験はない。
酷すぎて言葉を失くす。
あんなことはもう絶対に二度とあってはならない。
この映画をみてそう思わない者はないだろう。
9
映画を見終わってまもなく、シャッターの上がる音がした。
予期せぬことであったので唐突に感じ身構える。
クルマが玄関に入ってくる。
ドアが開き、二男の声が聞こえる。
続いて家内の声、そして長男の声もする。
実家には泊まらず帰ってきたのだ。
ほっと呼吸が楽になる。
一人過ごす週末を楽しむつもりが私は家族の帰宅を心から喜んでいた。
階下から順々に家に明りがリズムよく灯っていく。
私は階段を降りる。
そこには私の家族。
家族四人が久々勢揃いとなった。