小さな水滴が頬にあたって心地いい。
この程度のお湿りならば雨とは言えない。
水の粒を伝って届く草の匂いが心を隅々まで穏やかにしていく。
家内と二人、人影少ない夕刻の川べりを小一時間走る。
ゆったりとした時間の流れに歩調を合わせるかのよう、空の鉛を映す川面は終始寡黙で、表情崩すにしてもときおり風に揺れ野鳥に波打つ程度。
口数は例のとおり家内が二万語、私は二言三言。
非対称に言葉を交わし、川沿いを下って上った。
夕飯にはステーキが待っている。
ステーキがあるだけで、なんて素敵な気分なのだろう。
日曜も午後6時を過ぎればそれぞれが帰還し全員集合となる。
揃うのを待って、家内が丁寧に焼き上げていく。
わたしはこの日選んだ赤のワインを開けグラスに注ぐ。
家族四人、ナイフとフォークを使って語らい、特上の山形牛に心とろける時間を過ごす。
日曜夜、皆で一緒にステーキを食べる。
何でもないことのように思えて、しかし、実のところはかなり得難い幸福だ。
ステーキが惹起したわたしたちの喜色満面はこの地この時に強く色濃く痕跡を残した。
不可逆に進む時間の向こう、果てしなく遠く運ばれていつか離れ離れとなったとしても、振り返ればいつもここ、ステーキに胸満たされた家族の肖像が鮮明だ。