KORANIKATARU

子らに語る時々日記

だんだんと、あとを託していく要素ばかりが濃くなっていく

夜9時。
小雨降り出すが寒くはない。

帰宅するや家内に連れ出され近所を歩く。

わたしはうんうん頷く役割。
DJ家内のいちリスナーに徹する。

街中を練り歩き、足を運ぶことのべ10,000歩。
ここにいたってようやく解放の身となった。

風呂に入って寝支度を済ませベッドにもぐり込む。
隣には二男。

二人して「リングにかけろ」を読みふける。
夜が更けていくが眠れない。

憩いの夜を終え、仕事に向かう。

このところは、終盤のワンポイントを抑えれば済む役回りとなっているが、たまには初っ端から長丁場を投げ抜くこともある。
いくつになっても未知の領域が訪れて、手探りの立ち上がりと縁遠くなることはない。

先発だからとあれこれ考えても不安が募り、一人で力んだところで、上滑りな徒労を余儀なくされるのがオチである。

案ずるより産むが易し。
こういった場合は、一次情報を持つ行政の懐に飛び込み教え乞うのが手っ取り早い。

助力を仰いで力八分で臨むのがベテランの智慧。
野球で喩えれば打たせて取るピッチングとでも言えるだろう。

役所の担当者には迷惑かけたが、不安な立ち上がりは早回しで過ぎ去った。
見通しが立てばこっちのもの。
あとは一球一球黙々と投げ込むだけとなる。

次回似た案件が訪れたときには、わたしはベンチで若手を見守る役回りとなる。

投げられる球数は三十代当時の半分にも満たない。
連戦連投したことなど遠い昔のまばゆい思い出。

だんだんと、あとを託していく要素ばかりが濃くなっていく。
気持ちは十代のままではあるが、役回りから自らの歳を自覚させられる今日このごろである。