白ワインに続いて赤ワインも空いた。
あっという間に4時間が過ぎていた。
豪勢な食事のラインナップを反芻しつつ、ぶらり歩いて家内と共に帰途に就いた。
何かを心配する。
それが家内最大の特質と言えるのかもしれない。
「心配する」というプロローグがあって事が立ち上がり、「心配する」からこそしっかりと課題に対峙でき、「心配する」分だけ打ち手を尽くすから、あとは天命を待つだけという最善のプロセスが回ることになる。
息子たちの中学受験や大学受験はもちろん、振り返れば、その「心配」が随所で脈打って、それが良い結果をもたらしてきた。
そう思える。
もし、家内がノンシャランな性格であったら、どうであっただろう。
いざとなって手をこまねいて棒立ちになり、現実の強烈な連打を浴びて、家族もろとも呆気なくマットに沈む、ということになっていたかもしれない。
美味しいご飯を食べ、美味しいワインを飲んだ後の最上の時間であっても、所構わず、「心配」が発動し、この日も同様。
炭鉱でカナリアが鳴くかのごとく、隣に座る家内が言った。
息子が伴侶に恵まれたとして、その伴侶が家族で集まることを厭うような女子であったらどうなるのだろう。
東京を訪れ家族皆で食事する。
そんなささやかな楽しみに楔が入り、この家族の内に疎遠な空気が入り込む。
それはことである。
わたしも家内の心配に共感を寄せた。
息子のことを好いてくれるならどんな人であってもいい。
しかし、家族で集まるのを拒むような人物であれば、そんな寂しいことはないだろう。
普通に考えて、そんな人に当たる確率は高くない。
が、心配は隅の隅を照射してこそ役に立つ。
会社の飲み会でそうするように最初は嫌な顔せず参加するだろうから、そんな性格を見抜くのは簡単ではない。
しかし、自ら積極的に食事会を企画するくらいの子であれば、大丈夫ではないだろうか。
わたしがそう言うと家内は頷いた。
こうして電車に揺られるうち、親目線での理想の女子が定まった。
そして息子は言うだろう。
心配するにもほどがある。